言志四録 / 言志後録 第百三条 感応の機は我に在り
心得中和。則人情皆順。心失中和。則人情皆乖。感應之機。在於我矣。故人我一體。情理通透。可以從政矣。
新字:心得中和。則人情皆順。心失中和。則人情皆乖。感応之機。在於我矣。故人我一体。情理通透。可以従政矣。
書き下し
心中和を得れば、則ち人情皆順ひ、心中和を失へば、則ち人情皆乖く。感応の機は我に在り。故に人我一体、情理通透して、以て政に従ふべし。
現代語訳
自分の心が中和(偏らず調和した状態)を得ていれば、人々の心はみな従ってくる。自分の心が中和を失えば、人々の心はみな背いていく。感じ応じ合う要(かなめ)は、自分の側にある。だから、人と我とを一体とし、人情と道理とがすみずみまで通じ合うようになって、はじめて政治に携わることができる。
解説
人の心が従うか背くかは、相手の側ではなく自分の心のあり方にかかっている、と一斎は説きます。「中和」は『中庸』の語で、感情が発する前の偏りのない状態が中、発して節度にかなうのが和です。自分の心が偏り乱れていれば、どれほど正しい施策を打っても人は離れていきます。「感応の機は我に在り」とは、相手の反応を変えたければまず自分を正せということです。人と自分を一体と見て、人情と道理がともに通じ合うことを政治の条件とするのは、先の「為政の五件」で寛厚や鎮定を挙げたことともつながります。部下や周囲の反応が思わしくないとき、原因を外に探す前に、自分の心の状態を点検してみる視点を与えてくれます。
この章句が説くこと
中和感応為政人情自省
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