言志四録 / 言志後録 第百一条 事を幾先に見る
聖人見事於幾先。自事未發而言。謂之先天。自幾已動而言。謂之後天。中和。一也。誠敬。一也。
新字:聖人見事於幾先。自事未発而言。謂之先天。自幾已動而言。謂之後天。中和。一也。誠敬。一也。
書き下し
聖人は事を幾先に見る。事の未だ発せざるより言へば、之を先天と謂ひ、幾の已に動くより言へば、之を後天と謂ふ。中和は一なり。誠敬は一なり。
現代語訳
聖人は、事が起こる前の兆し(幾)のさらに先に、事を見て取る。事がまだ起こっていない側から言えば、これを先天といい、兆しがすでに動いた側から言えば、これを後天という。(同じように)中と和とは一つのものであり、誠と敬とは一つのものである。
解説
「幾」とは物事が形になる前のかすかな兆しで、『易』繋辞下伝には「幾は動の微なり」とあります。聖人はその兆しの先で事を見るというのです。一斎は、同じ一つの洞察を、事がまだ起こっていない側から見れば「先天」、兆しが動いた側から見れば「後天」と呼ぶだけだと整理します。そして、未発の「中」と已発の「和」、本体としての「誠」と工夫としての「敬」も、それぞれ見る角度が違うだけで一つのものだと続けます。本体と工夫を分けない一斎の考え方がよく表れています。問題が起きてから対処するのでなく、兆しの段階で読み取る力は、経営や組織運営でこそ求められるもので、その力は日ごろの心の構えと切り離せないのかもしれません。
この章句が説くこと
幾先見中和誠敬
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