言志四録 / 言志後録 第八十七条 其の身を獲ず
去假己而成眞己。逐客我而存主我。是謂不獲其身。
新字:去仮己而成真己。逐客我而存主我。是謂不獲其身。
書き下し
仮己を去りて真己を成し、客我を逐ひて主我を存す。是を其の身を獲ずと謂ふ。
現代語訳
仮の自分(私欲にとらわれた自分)を取り去って真の自分を成し遂げ、客としての自分(外物に引きずられる自分)を追い払って主としての自分を保つ。これを『易』で「其の身を獲ず(自分の身にとらわれない)」というのである。
解説
「其の身を獲ず」は『易』艮卦の卦辞「其の背に艮まりて、其の身を獲ず。其の庭に行きて、其の人を見ず」に由来し、止まるべきところに止まって私的な身へのこだわりを離れることを言います。一斎はこれを、仮の己を去って真の己を成し、客の我を追い払って主の我を保つことだと解釈しました。欲望や他人の目に振り回される自分は仮の客であり、本来の主人である自分を取り戻すことが、かえって「身を獲ない」境地だというのです。一斎は別の条で「真己」「仮己」の語を繰り返し用いています。肩書きや評判に縛られた自分と、本来大事にしたいものを持つ自分を見分けることは、仕事の重圧が大きいときほど意味を持つでしょう。
この章句が説くこと
真己仮己主我克己無私
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