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言志四録 / 言志後録 第六十九条 苦楽に処して苦楽を超ゆ

人生有貴賤。有貧富。亦各有其苦樂。不必謂富貴樂而貧賤苦。盖自其苦處言之。何莫不苦。自其樂處言之。何莫不樂。然此苦樂亦猶在外者也。昔賢曰。樂者心之本體。此樂不離苦樂之樂。亦不墜苦樂之樂。盖其處苦樂而超苦樂。安其所遭而無外慕。是眞樂也已。中庸所謂君子素其位而行。不願乎其外。無入而不自得者。是也。

新字:人生有貴賤。有貧富。亦各有其苦楽。不必謂富貴楽而貧賤苦。盖自其苦処言之。何莫不苦。自其楽処言之。何莫不楽。然此苦楽亦猶在外者也。昔賢曰。楽者心之本体。此楽不離苦楽之楽。亦不墜苦楽之楽。盖其処苦楽而超苦楽。安其所遭而無外慕。是真楽也已。中庸所謂君子素其位而行。不願乎其外。無入而不自得者。是也。

書き下し

人生には貴賤有り、貧富有り、亦各々其の苦楽有り。必ずしも富貴は楽しくして貧賤は苦しと謂はず。蓋し其の苦しき処より之を言へば、何れか苦しからざる莫からん。其の楽しき処より之を言へば、何れか楽しからざる莫からん。然れども此の苦楽も亦猶ほ外に在る者なり。昔賢曰く、「楽は心の本体なり」と。此の楽は苦楽の楽を離れず、亦苦楽の楽に墜ちず。蓋し其れ苦楽に処して苦楽を超え、其の遭ふ所に安んじて外慕無し。是れ真楽なるのみ。中庸に所謂「君子は其の位に素して行ひ、其の外を願はず。入るとして自得せざる無し」とは、是れなり。

現代語訳

人生には身分の高低があり、貧富の差があり、またそれぞれに苦しみと楽しみがある。富貴だから楽しく、貧賤だから苦しいとは必ずしも言えない。思うに、苦しい面から言えば、どれも苦しくないものはなく、楽しい面から言えば、どれも楽しくないものはない。しかしこうした苦楽も、やはり自分の外にあるものである。昔の賢人(王陽明)は「楽しみは心の本来の姿である」と言った。この楽しみは、苦楽という意味での楽から離れたものではないが、かといって苦楽という意味での楽に落ち込むものでもない。思うに、苦楽の中に身を置きながら苦楽を超え、出会った境遇に安んじて外のものを慕い求めない。これこそ真の楽しみである。中庸に「君子はその置かれた立場に即して行い、それ以外を願わない。どこに入っても満ち足りないことはない」とあるのは、このことである。

解説

苦楽とは何か、真の楽しみとは何かを論じた一条です。富貴にも貧賤にもそれぞれの苦楽があり、どちらが楽とは決められない。しかもそうした苦楽は境遇という外側のものに左右される。一斎はそこで王陽明の「楽は心の本体なり」を引き、境遇に応じて上下する楽とは別に、心そのものに備わる楽があると言います。それは苦楽を離れて悟りすますものではなく、苦楽のただ中にいながらそれに振り回されない心の在り方です。中庸の「其の位に素して行ふ」は、置かれた立場で為すべきことを為し、他を羨まないこと。待遇や肩書きと自分の充実感をどう切り分けるかを考える材料になる一条です。

この章句が説くこと

苦楽真楽安分心の本体中庸

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