言志四録 / 言志後録 第六十六条 此れも亦心学なり
終年奔走於都城内。不自知天地之爲大。時可泛川海。時可登邱嶽。時可行蒼莽之野。此亦心學也。
新字:終年奔走於都城内。不自知天地之為大。時可泛川海。時可登邱嶽。時可行蒼莽之野。此亦心学也。
書き下し
終年都城の内に奔走すれば、自ら天地の大たるを知らず。時に川海に泛ぶべし。時に邱嶽に登るべし。時に蒼莽の野を行くべし。此れも亦心学なり。
現代語訳
一年中都の中を駆け回っていると、天地が大きいことに自分で気づかなくなる。時には川や海に舟を浮かべるがよい。時には丘や山に登るがよい。時には果てしなく広がる野を歩くがよい。これもまた心の学問である。
解説
江戸の町で忙しく暮らしていた一斎が、自然に身を置くことの意義を説いた一条です。一年中都会で駆け回っていると、視野が日々の用事に狭まり、天地の大きさを忘れてしまう。だから時には川や海に舟を浮かべ、山に登り、広い野を歩け、と言います。そしてそれを「心学」、心を養う学問の一つだと位置づけているのが大切な点です。書物を読み、静坐することだけが修養ではなく、雄大な自然に触れて心の器を広げることもまた学問だというのです。次の条とも一続きの主題になっています。忙しさの中で視野が狭くなっていると感じたとき、場所を変えることにも意味があると教えてくれます。
この章句が説くこと
心学自然視野修養余暇
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