言志四録 / 言志後録 第四十四条 下情に通ず
通下情三字。當做彼我兩看。人主能通達下情。是通在我。使下情各得通達。是通在彼。如是透看。眞所謂通也。
新字:通下情三字。当做彼我両看。人主能通達下情。是通在我。使下情各得通達。是通在彼。如是透看。真所謂通也。
書き下し
「下情に通ず」の三字は、当に彼我両つながら看るを做すべし。人主能く下情に通達するは、是れ通ずること我に在り。下情をして各々通達するを得しむるは、是れ通ずること彼に在り。是くの如く透看して、真に所謂通ずるなり。
現代語訳
「下情に通ずる」(下々の実情に通じる)という三字は、相手と自分の両面から見るべきである。君主が下々の実情によく通じるのは、通じることが自分の側にある場合である。下々の思いがそれぞれ上に届くようにするのは、通じることが相手の側にある場合である。このように両面を見通してこそ、本当にいわゆる「通じる」ということになる。
解説
上に立つ者は「下情に通ぜよ」とよく言われますが、一斎はそれを二つの方向から捉え直しています。一つは、上に立つ者が自ら現場の実情を知ること。もう一つは、下の者がそれぞれ思いを上に伝えられる仕組みや空気をつくること。前者は「我」の側の努力、後者は「彼」の側に通路を開くことです。上が一方的に情報を集めるだけでは、下の人々は見られているだけで、声を届けられるとは感じません。双方向に通じてはじめて本当の「通」になるという指摘は、現代の組織のコミュニケーションにもそのまま当てはまります。現場を知ろうとするだけでなく、現場が声を上げやすいかどうかを問う視点を与えてくれる一条です。
この章句が説くこと
下情為政コミュニケーションリーダーシップ風通し
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