言志四録 / 言志後録 第四十条 明の季世に戒む
余讀明紀。至其季世。君相匪其人。宦官宮妾用事。賂遺公行。兵馬衰弱。國帑則空虛。政事只是料理貨幣耳。東林不得不黨。闖賊不得不蠢。終馴致胡滿乘釁纂夏。嗟嗟。後世可不知所戒乎。
新字:余読明紀。至其季世。君相匪其人。宦官宮妾用事。賂遺公行。兵馬衰弱。国帑則空虚。政事只是料理貨幣耳。東林不得不党。闖賊不得不蠢。終馴致胡満乗釁纂夏。嗟嗟。後世可不知所戒乎。
書き下し
余明紀を読みて、其の季世に至る。君相其の人に匪ず、宦官宮妾事を用ひ、賂遺公に行はれ、兵馬衰弱し、国帑は則ち空虚にして、政事は只だ是れ貨幣を料理するのみ。東林党せざるを得ず、闖賊蠢かざるを得ず。終に馴れて胡満の釁に乗じて夏を纂ふを致す。嗟嗟、後世戒むる所を知らざるべけんや。
現代語訳
私は明朝の歴史を読み、その末期のところに至った。君主も宰相もふさわしい人物ではなく、宦官や後宮の女性たちが権力をふるい、賄賂が公然と行われ、軍備は衰え、国庫は空になり、政治はただ金銭のやりくりに終始するばかりであった。東林派(朝政を批判した官僚・学者の一派)は党派を結ばざるを得ず、闖賊(李自成の反乱軍)は蜂起せざるを得なかった。そしてしだいに事態が進み、ついには満洲族がその隙に乗じて中華を奪うに至った。ああ、後世の者はここに戒めるべきところを知らずにいられようか。
解説
明の滅亡を振り返った史論の一条です。君主と宰相に人を得ず、宦官や後宮が政治を左右し、賄賂が横行し、軍は弱り、国庫は尽き、政治が金策だけになる。その結果、東林党の党争が起こり、李自成の乱が起こり、最後は清に国を奪われた、という流れを一気に描いています。「得ず」を重ねた書き方には、党争も反乱も、失政が生んだ必然の帰結だという見方がにじみます。一斎が生きた江戸後期も、幕府の財政難が深刻になりつつあった時代で、他国の歴史を読みながら自国を思っていたのでしょう。組織が衰えるとき、目に見える崩壊の前に人事と規律の緩みがあることを考えさせます。
この章句が説くこと
歴史為政衰亡人材財政
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