言志四録 / 言志後録 第二十四条 真の功名は道徳
眞功名。道德便是。眞利害。義理便是。
新字:真功名。道徳便是。真利害。義理便是。
書き下し
真の功名は、道徳便ち是れなり。真の利害は、義理便ち是れなり。
現代語訳
本当の功名とは、道徳そのものである。本当の利害とは、義理(道理)そのものである。
解説
前の条に続けて、功名と利害を道徳と義理のほうへ引き寄せて定義し直した、短く力強い一条です。世に言う功名は地位や名声のことですが、一斎は、本物の功名とは道徳を身に行うことそのものだと言います。同じく、本当の損得とは道理にかなうかどうかだとします。道徳と功名、義理と利害を対立させて片方を捨てるのではなく、真の意味での功名や利害はもともと道徳や義理と一つだ、という考え方です。長い目で見れば、信用を損なう利益は損であり、筋の通った行いは得になる。目先の成果や評価に迷ったとき、本当の成果とは何か、本当の得とは何かを問い直す手がかりになります。
この章句が説くこと
功名道徳義利成功信用
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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