言志四録 / 言志後録 第十七条 過ちは不敬に生ず
過生於不敬。能敬則過自寡矣。儻或過則宜速改之。速改之亦敬也。如顏子不貳過。子路喜聞過。莫非敬也。
新字:過生於不敬。能敬則過自寡矣。儻或過則宜速改之。速改之亦敬也。如顔子不貳過。子路喜聞過。莫非敬也。
書き下し
過ちは不敬に生ず。能く敬すれば則ち過ち自ら寡し。儻し或いは過たば、則ち宜しく速やかに之を改むべし。速やかに之を改むるも亦敬なり。顔子の過ちを弐びせず、子路の過ちを聞くを喜ぶが如き、敬に非ざるは莫きなり。
現代語訳
過ちは慎みを欠くことから生じる。よく慎んでいれば、過ちはおのずから少なくなる。もし過ちを犯したならば、すぐにそれを改めるべきである。すぐに改めることもまた慎みである。顔回(孔子の高弟)が同じ過ちを二度繰り返さなかったことや、子路が自分の過ちを指摘されるのを喜んだことなど、どれも慎みでないものはない。
解説
過ちの原因と対処を、ともに「敬」で説いた条です。敬とは心をひきしめ、目の前の事に集中する慎みのことで、朱子学の修養の要です。一斎は、過ちはこの敬が緩んだときに生じると言い、さらに犯した過ちをすぐ改めることもまた敬だとします。例に挙げた顔回の「過ちを弐びせず」は『論語』雍也篇、子路の「人之に告ぐるに過ち有るを以てすれば則ち喜ぶ」は『孟子』公孫丑上篇に見えます。過ちを防ぐことと直すことが、同じ一つの心構えから出ているという整理です。ミスを隠したり、指摘を不快に感じたりするのも、慎みが欠けている表れかもしれません。失敗への向き合い方を省みる手がかりになります。
この章句が説くこと
敬過ち改過慎み修養
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