伝習録 / 黄修易録
黃勉叔問:「心無惡念時,此心空空蕩蕩的。不知亦須個善念否?」先生曰:「既去惡念,便是善念;便復心之本體矣。譬如:日光被雲來遮蔽;雲去,光已復矣。若惡念既去,又要存個善念,即是日光之中添燃一燈。」
新字:黄勉叔問:「心無悪念時,此心空空蕩蕩的。不知亦須個善念否?」先生曰:「既去悪念,便是善念;便復心之本体矣。譬如:日光被雲来遮蔽;雲去,光已復矣。若悪念既去,又要存個善念,即是日光之中添燃一灯。」
書き下し
黄勉叔問う、「心に悪念無き時、此の心は空空蕩蕩たり。知らず、亦た須らく個の善念あるべきや否や」と。先生曰く、「既に悪念を去らば、便ち是れ善念なり。便ち心の本体に復するなり。譬えば日光の雲の来たりて遮蔽せらるるが如し。雲、去らば、光は已に復す。若し悪念、既に去りて、又た個の善念を存せんことを要さば、即ち是れ日光の中に一灯を添え燃やすなり」と。
現代語訳
黄勉叔が問うた。「心に悪い念がない時、この心は空々としています。やはり善い念を持つべきでしょうか」。先生は言われた。「悪い念を去れば、それが善い念だ。心の本体に立ち返っている。日光が雲に遮られるようなものだ。雲が去れば、光はもう戻っている。もし悪い念を去った上に、さらに善い念を置こうとすれば、それは日光の中に灯を一つ足して燃やすようなものだ」。
解説
心から悪い念が消え去った時、私たちは「何か良いことをしなければ」と考えがちです。しかし、この一節は、悪い念がなくなった状態こそが、すでに心の本来の善い状態であると教えています。それは、雲が去れば太陽の光が自然に戻るのと同じです。わざわざ「善い念」を付け加えようとするのは、晴れた空にさらにランプを灯すようなもの。余計なものを足すのではなく、ただ悪いものを取り除けば、本来の清らかさが現れるのです。
この章句が説くこと
既去悪念便是善念即是日光之中添燃一灯
関連する章句
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