言志四録 / 南洲手抄
人心之靈、如太陽然。但克伐怨欲、雲霧四塞、此靈烏在。故誠意工夫、莫先於掃雲霧仰白日。凡爲學之要、自此而起基。故曰、誠者物之終始。
新字:人心之霊、如太陽然。但克伐怨欲、雲霧四塞、此霊烏在。故誠意工夫、莫先於掃雲霧仰白日。凡為学之要、自此而起基。故曰、誠者物之終始。
書き下し
人心の霊、太陽の如く然り。但だ克伐怨欲、雲霧四塞せば、此の霊烏くに在る。故に意を誠にする工夫は、雲霧を掃うて白日を仰ぐより先きなるは莫し。凡そ学を為すの要は、此よりして基を起す。故に曰ふ、誠は物の終始と。
現代語訳
人の心の霊妙さは、太陽のようなものだ。ただ、勝ちたがり・自慢・恨み・欲望といった雲霧が四方を塞げば、この霊光はどこにあるのか見えなくなる。だから、心を誠にする工夫は、その雲霧を払って白日を仰ぐこと以上に大切なものはない。およそ学問の要は、ここから土台を起こす。だから『中庸』に「誠は物事の始めであり終わりである」と言うのだ。
解説
心を太陽に、私欲を雲霧にたとえ、「誠」を学問の土台に据えた一条です。人の心は本来、太陽のように明るく霊妙。ところが、克(勝ちたがり)・伐(自慢)・怨(恨み)・欲という雲霧が覆うと、その光は隠れてしまう。だから修養の第一歩は、この雲霧を払って本来の明るさ(白日)を取り戻すこと——それが「誠意(意を誠にする)」の工夫であり、あらゆる学問の出発点だ、というのです。『中庸』の「誠は物の終始」を引いて締めくくります。二番・八十六番と一貫する「心の曇りを払う」主題の集大成。修養の根本を、簡潔かつ力強く示す一条です。
この章句が説くこと
誠意心の太陽克伐怨欲中庸
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