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言志四録 / 言志録 第二百四十条 経を講ずるの法

講經之法。要簡明。不要煩悉。要平易。不要艱奥。只須使聽者得大意分曉可也。至深意處。則畢竟非口舌所能盡。但或察識子弟受病處。間及餘意。替聖賢口語。一二箴砭。使其頗有所省悟。亦儘好。若夫簸弄口舌。縱橫辨博。使聽者解頤忘疲。則非講經本意。

新字:講経之法。要簡明。不要煩悉。要平易。不要艱奥。只須使聴者得大意分暁可也。至深意処。則畢竟非口舌所能尽。但或察識子弟受病処。間及余意。替聖賢口語。一二箴砭。使其頗有所省悟。亦儘好。若夫簸弄口舌。縦横弁博。使聴者解頤忘疲。則非講経本意。

書き下し

経を講ずるの法は、簡明を要して、煩悉を要せず。平易を要して、艱奥を要せず。只だ須らく聴く者をして大意を得て分暁ならしむべくして可なり。深意の処に至りては、則ち畢竟口舌の能く尽くす所に非ず。但だ或いは子弟の病を受くる処を察識して、間ゝ余意に及び、聖賢の口語に替りて、一二箴砭し、其れをして頗る省悟する所有らしむるも、亦儘く好し。若し夫れ口舌を簸弄し、縦横に弁博にして、聴く者をして頤を解き疲れを忘れしむるは、則ち経を講ずるの本意に非ず。

現代語訳

経書を講義する方法は、簡潔明瞭であることが大切で、煩わしく細かすぎてはならない。平易であることが大切で、難解で奥深くしてはならない。ただ聞き手に大意をつかませ、はっきり理解させればそれでよい。深い意味のところになると、結局は言葉で説き尽くせるものではない。ただ、時には弟子たちが病(欠点)を抱えているところを見抜いて、ときどき本文の外の意味にも触れ、聖賢の言葉に代わって一、二の戒めを与え、彼らが大いに反省し悟るところがあるようにするのは、それもまたたいへんよい。もし口先を弄び、縦横に弁舌をふるい博識をひけらかして、聞き手を大笑いさせ疲れを忘れさせるようなものは、経書を講義する本来の意図ではない。

解説

長年講義を重ねてきた一斎の、講義論です。簡明で平易に、大意がつかめればよいとし、深い意味は言葉では尽くせないと割り切ります。ただし聞き手の欠点を見て、聖賢に代わって一言の戒め(箴砭は鍼と石鍼の意)を与えるのはよいと言います。一方で「頤を解く」、つまり聴衆を大笑いさせて喜ばせる話術は本意ではないと退けます。これは『漢書』の匡衡が詩を説くと人が顎を外して笑ったという故事を踏まえています。孔門の学を「良医の処方」にたとえた前の条とも響き合います。研修や会議での説明が、分かりやすさより話し手の見栄えのためになっていないかを振り返る材料になります。

この章句が説くこと

講義教育簡明指導伝える力

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