言志四録 / 言志録 第二百三十八条 異を好むの念を容れず
先儒經解謬誤。不得不訂正。但須出於不得已。不容有好異之念。
新字:先儒経解謬誤。不得不訂正。但須出於不得已。不容有好異之念。
書き下し
先儒の経解の謬誤は、訂正せざるを得ず。但だ須らく已むを得ざるに出づべし。異を好むの念有るを容れず。
現代語訳
先人の儒者による経書解釈の誤りは、訂正しないわけにはいかない。ただし、それはやむを得ずして行うものでなければならない。人と違うことを言いたいという気持ちがあってはならない。
解説
前の条で自分の見識で断じよと言った一斎は、ここでその危うさにも釘を刺します。先儒の解釈に誤りがあれば正すのは学問の義務ですが、それは「已むを得ざる」場合に限る、と。新説を立てて目立ちたいという「異を好む」心が混じると、正しさの追求がいつのまにか自己顕示にすり替わるからです。朱子学を公の学として講じつつ陽明学にも理解を示し、「陽朱陰王」と評された一斎にとって、先儒とどう向き合うかは身近な問題だったはずです。前任者のやり方を改めるとき、その動機が本当に必要からなのか、自分の色を出したいだけなのかを確かめる材料になります。
この章句が説くこと
学問の方法謙虚改革自己顕示先例
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公四年 申の会夏、諸侯楚に如く。魯・衛・曹・邾、會せず。曹・邾は辭するに難を以ってし、公は辭するに時祭を以ってし、衛侯は辭するに疾を以ってす。鄭伯先づ申に待つ。六月丙午、楚子諸侯を申に合す。椒舉楚子に言ひて曰く、「臣聞く、諸侯歸する無し、禮以って歸と為す、と。今君始めて諸侯を得たり、其れ禮を慎め。霸の濟否は、此の會に在り。夏啟に鈞臺の享有り、商湯に景亳の命有り、周武に孟津の誓有り、成に岐陽の蒐有り、康に酆宮の朝有り、穆に塗山の會有り、齊桓に召陵の師有り、晉文に踐土の盟有り。君其れ何をか用ゐん。宋の向戌・鄭の公孫僑は、諸侯の良に在り。君其れ焉を選べ」と。王曰く、「吾は齊桓を用ゐん」と。王左師と子產とに禮を問はしむ。左師曰く、「小國は之を習ひ、大國は之を用ゐる。敢へて聞く所を薦めざらんや」と。公の諸侯を合するの禮六を獻ず。子產曰く、「小國は職を共にす、敢へて守る所を薦めざらんや」と。伯・子・男の公に會するの禮六を獻ず。君子謂ふ、「合左師は善く先代を守り、子產は善く小國を相く」と。
-
『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、然らば商人の売買にて、利を得ることは有るべきことなり。其の外に曲げて非なること候や。答ふ、今日世間のありさまに、曲げて非なること多し。ここを以て教へあるなり。実の商人は、敬み為ざること有り。譬へを以て告げん。我幼年の時分に聞きしこと有り。昔或る国に、中頃より水入りになり、農作ならぬ田地あり。其の昔、水も入らざりし時、年貢をかけられし例により、今も少々宛年貢をかけられしに、其の田地に菓を植ゑ、稲作より増しに、よこものなり揚りければ、其の菓に、先君の時より、又運上をかけらるるとかや。君これを難儀に思し召し、是新法を止め、民の害るることを救はんと志したまへども、親殿の時より始められしことなれば、子の身として、改め変ふることを歎きたまひ、
-
史記 魏公子列伝魏に隠士有り、侯嬴と曰ふ、年七十、家貧しく、大梁の夷門の監者為り。公子これを聞き、往きて請ひ、厚くこれに遺らんと欲す。受くるを肯んぜずして曰く、「臣、身を脩め行ひを絜くすること数十年、終に監門の困しみの故を以て公子の財を受けず」と。公子是に於いて乃ち酒を置きて大いに賓客を会す。坐定まり、公子車騎を従へ、左を虚しくして、自ら夷門の侯生を迎ふ。侯生、敝れたる衣冠を摂め、直ちに上りて公子の上坐に載り、譲らず、以て公子を観んと欲す。公子轡を執ること愈々恭し。侯生また公子に謂ひて曰く、「臣に客の市の屠中に在る有り、願はくは車騎を枉げてこれに過れ」と。公子車を引きて市に入る。侯生下りてその客朱亥に見え、俾倪して故らに久しく立ち、その客と語り、微かに公子を察す。公子の顔色愈々和らぐ。是の時に当たり、魏の将相・宗室・賓客堂に満ち、公子の酒を挙ぐるを待つ。市人皆公子の轡を執るを観る。従騎皆竊かに侯生を罵る。侯生、公子の色の終に変ぜざるを視て、乃ち客に謝して車に就く。家に至り、公子、侯生を引きて上坐に坐せしめ、遍く賓客に賛す、賓客皆驚く。酒酣にして、公子起ち、寿を侯生の前に為す。侯生因りて公子に謂ひて曰く、「今日、嬴の公子の為にするもまた足れり。嬴は乃ち夷門の抱関者なり、而るに公子親ら車騎を枉げ、自ら嬴を衆人広坐の中に迎ふ、宜しく過る所有るべからざるに、今公子故らにこれに過る。然れども嬴は公子の名を就さんと欲す、故に久しく公子の車騎を市中に立たしめ、客に過りて以て公子を観る、公子愈々恭し。市人皆嬴を以て小人と為し、而して公子を以て長者にして能く士に下ると為すなり」と。是に於いて酒を罷め、侯生遂に上客と為る。
-
史記 管晏列伝晏子斉の相たり。出づ。其の御の妻、門間よりして其の夫を闚ふ。其の夫、相の御を為して、大蓋を擁し、駟馬に策ち、意気揚揚として甚だ自ら得たるなり。既にして帰る。其の妻去らんことを請ふ。夫其の故を問ふ。妻曰く、「晏子の長けは六尺に満たずして、身は斉国に相たり、名は諸侯に顕はる。今妾其の出づるを覩るに、志念深く、常に自ら下る有る者なり。今子は長け八尺、乃ち人の僕御為り、然るに子の意は自ら以て足れりと為す。妾是の以に去らんことを求むるなり」と。其の後夫自ら抑損す。晏子怪しみて之を問ふ。御実を以て対ふ。晏子薦めて大夫と為す。
-
史記 魏公子列伝魏の公子無忌は、魏の昭王の少子にして魏の安釐王の異母弟なり。昭王薨じ、安釐王即位し、公子を封じて信陵君と為す。是の時、范睢魏を亡げて秦に相たり、魏斉を怨むの故を以て、秦の兵大梁を囲み、魏の華陽の下の軍を破り、芒卯を走らす。魏王及び公子これを患ふ。公子は人と為り仁にして士に下り、士は賢不肖と無く皆謙りて礼もてこれに交はり、敢へてその富貴を以て士に驕らず。士は此を以て方数千里争ひ往きてこれに帰し、食客三千人を致す。是の時に当たりて、諸侯は公子の賢にして客多きを以て、敢へて兵を加へて魏を謀らざること十余年。
-
老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る