言志四録 / 言志録 第二百八条 荀卿の非相
相法非沒道理。然其惑人不尠。故君子不爲也。荀卿非相。言雖武斷。而亦說破痛快。
新字:相法非没道理。然其惑人不尠。故君子不為也。荀卿非相。言雖武断。而亦説破痛快。
書き下し
相法は道理没きに非ず。然れども其の人を惑はすこと尠からず。故に君子は為さざるなり。荀卿の非相は、言武断なりと雖も、而も亦説破痛快なり。
現代語訳
人相の法に道理がないわけではない。しかし人を惑わすことが少なくない。だから君子はこれを行わない。荀卿(荀子)の「非相篇」は、言い方は独断的ではあるが、それでも言い切っていて痛快である。
解説
前条で形と気性の連動を認めた一斎は、それでも人相見は君子のすることではないと述べます。理屈がまったくないわけではないが、人を惑わす弊害の方が大きいからです。引かれた『荀子』非相篇は、形を見るのは心を論じるに及ばず、心を論じるのは術を選ぶに及ばないとして、容貌で吉凶や人物を判断することを退けた篇です。一斎はその論が断定的にすぎると留保しつつ、きっぱり言い切ったところを痛快と評しています。理があることと、それに頼ってよいこととは別だという判断が見て取れます。第一印象や外見、経歴の型で人を判断しがちな場面で、その判断がどこまで当てになるかを考え直させる言葉です。
この章句が説くこと
人を見る目人相惑い判断
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