言志四録 / 言志録 第百九十四条 禹は善言を聞けば拝す
禹聞善言則拜。中心感悅。自然能如此。拜字最善狀。猶言膝不覺屈。
新字:禹聞善言則拝。中心感悦。自然能如此。拝字最善状。猶言膝不覚屈。
書き下し
禹は善言を聞けば則ち拝す。中心感悦して、自然に能く此くの如し。拝の字、最も善く状す。猶ほ膝の屈するを覚えずと言ふがごとし。
現代語訳
禹(夏の聖王)は善い言葉を聞くと拝礼した(『孟子』公孫丑上)。心の底から感じ入り喜んで、自然にそうできたのである。「拝」の字はその様子を最もよく言い表している。膝が思わず折れてしまった、と言うようなものである。
解説
『孟子』公孫丑上には、子路は過ちを指摘されると喜び、禹は善言を聞くと拝した、という話があります。一斎はこの「拝」の一字に注目し、それは礼儀として頭を下げたのではなく、心の底から感じ入って思わず膝が折れたのだと読み解きます。善い言葉を受け取る姿勢として、これ以上のものはないでしょう。聖王と呼ばれた禹が、臣下や人々の言葉にこれほど素直に反応したという点に、上に立つ者の器が表れています。立場が上がるほど、人の意見を聞く態度は形式的になりがちです。耳の痛い助言や優れた提案に接したとき、自分の心がどれほど動いているかを問い直させる一条です。
この章句が説くこと
傾聴謙虚善言上に立つ者
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