言志四録 / 言志録 第百九十五条 人心惟れ危ふし
人心惟危。則堯舜之心。即桀紂矣。道心惟微。則桀紂之心。即堯舜矣。
書き下し
人心は惟れ危ふければ、則ち堯舜の心も即ち桀紂なり。道心は惟れ微なれば、則ち桀紂の心も即ち堯舜なり。
現代語訳
人心(欲に動かされる心)は危ういものであるから、堯・舜(古代の聖王)の心であっても、そのまま桀・紂(夏と殷の暴君)の心になりうる。道心(道理に従う心)はかすかなものであるから、桀・紂の心であっても、そのまま堯・舜の心になりうる。
解説
『書経』大禹謨の「人心惟れ危ふく、道心惟れ微なり」は、朱子が『中庸章句』序で重んじた十六字心法の一節です。一斎はこれを大胆に読み替えます。人心が危ういということは、聖王の心でも一瞬で暴君の心に転じうるということ。道心がかすかだということは、暴君の心にもなお聖王の心が潜んでいるということ。聖人と暴君は別種の人間ではなく、同じ心の向き一つで入れ替わるのです。人を固定した善人・悪人に分けない見方であり、自分への戒めと他人への希望の両方を含んでいます。優れた実績を持つ人ほど転落の危うさを抱え、問題のある人にも立ち直りの芽がある、と考える手がかりになります。
この章句が説くこと
人心と道心心術善悪慎み人を見る目
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