言志四録 / 言志録 第百九十二条 心は猶ほ火のごとし
心猶火。着物爲體。不着於善。則着於不善。故游藝之訓。不特導諸善。而又所以防不善也。博奕之賢乎已亦以此。
新字:心猶火。着物為体。不着於善。則着於不善。故游芸之訓。不特導諸善。而又所以防不善也。博奕之賢乎已亦以此。
書き下し
心は猶ほ火のごとし。物に着きて体と為す。善に着かざれば、則ち不善に着く。故に芸に游ぶの訓は、特に諸を善に導くのみならず、而も又不善を防ぐ所以なり。博奕の已むに賢れるも亦此を以てなり。
現代語訳
心は火のようなものである。何かの物に燃えついて、それを形とする。善に燃えつかなければ、不善に燃えつく。だから「芸に游ぶ」(『論語』述而、六芸に親しむ)という教えは、人を善に導くだけでなく、不善を防ぐためのものでもある。(孔子が)博奕(すごろくや囲碁)でも何もしないよりはましだと言ったのも、この理由による。
解説
心を火にたとえた印象的な一条です。火はそれだけでは形を持たず、薪に燃えついてはじめて炎となるように、心も何かに向かってはじめて働きます。そして善に向かわなければ、必ず不善に向かう。空白のままでいることはできないのです。孔子が「芸に游ぶ」、つまり礼・楽・射・御・書・数の六芸に親しめと説いたのは、心に善い燃料を与えるためであり、『論語』陽貨で、飽食して何もしないよりは博奕でもしている方がましだと言ったのも同じ理屈だと一斎は読みます。暇が悪を生むという実感を、心の性質から説明した点が鋭いところです。余暇や空いた時間に心が何に燃えついているかを見直すきっかけになります。
この章句が説くこと
心術余暇六芸善と不善習慣
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