言志四録 / 言志録 第百九十一条 欲人無聞莫若勿言
枚乘曰。欲人無聞。莫若勿言。欲人無知。莫若勿爲。薛文靖以爲名言。余則以爲未也。凡事當問其心何如。心苟有物。己雖不言。人將聞之。人雖不聞。鬼神將闞之。
新字:枚乗曰。欲人無聞。莫若勿言。欲人無知。莫若勿為。薛文靖以為名言。余則以為未也。凡事当問其心何如。心苟有物。己雖不言。人将聞之。人雖不聞。鬼神将闞之。
書き下し
枚乗曰く、「人の聞く無からんことを欲せば、言ふ勿きに若くは莫し。人の知る無からんことを欲せば、為す勿きに若くは莫し」と。薛文靖以て名言と為す。余は則ち以て未だしと為す。凡そ事は当に其の心の何如を問ふべし。心苟も物有らば、己言はずと雖も、人将に之を聞かんとす。人聞かずと雖も、鬼神将に之を闞はんとす。
現代語訳
枚乗(前漢の文人)は「人に聞かれたくないなら、言わないに越したことはない。人に知られたくないなら、しないに越したことはない」と言った。薛文靖(明の儒者薛瑄)はこれを名言とした。しかし私はまだ十分でないと思う。およそ物事は、その心がどうであるかを問うべきである。心にもしわだかまりがあれば、自分が言わなくても人はいずれそれを聞きつける。人が聞かなくても、鬼神がそれをうかがい見るであろう。
解説
前漢の枚乗の言葉は、明の朱子学者薛瑄(文靖は諡)が名言と称えたものですが、一斎はそれでは足りないと言います。言わない、しないという行為の次元で止めてしまえば、心の中に隠したものはそのまま残るからです。心に何かを抱えていれば、口に出さなくても人に伝わり、人が気づかなくても鬼神が見ている。これは『中庸』の「慎独」、誰も見ていない一人の場でこそ慎むという教えと重なります。行いの管理より心の在りようを問うところに、陽明学にも通じた一斎の姿勢が見えます。隠し事を表に出さない工夫より、隠さなければならない心そのものを点検することの意味を考えさせる一条です。
この章句が説くこと
慎独心術誠隠し事
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