言志四録 / 言志録 第百九十条 敖は長ずべからず
同此軀殼。則同此情。聖賢亦與人同耳。故其訓曰。敖不可長。欲不可從。敖欲亦是情種。何必斷滅之。只是不可長。不可從而已。大學敖惰。人徃徃疑之。吾不謂然。
新字:同此躯殼。則同此情。聖賢亦与人同耳。故其訓曰。敖不可長。欲不可従。敖欲亦是情種。何必断滅之。只是不可長。不可従而已。大学敖惰。人往往疑之。吾不謂然。
書き下し
此の躯殻を同じうすれば、則ち此の情を同じうす。聖賢も亦人と同じきのみ。故に其の訓に曰く、「敖は長ずべからず、欲は従にすべからず」と。敖欲も亦是れ情の種なり、何ぞ必ずしも之を断滅せん。只是れ長ずべからず、従にすべからざるのみ。大学の敖惰、人往往之を疑ふ。吾は然りと謂はず。
現代語訳
同じ肉体を持っている以上、同じ感情を持つ。聖人や賢人もまた普通の人と同じなのである。だからその教え(『礼記』曲礼)に「おごりの心は増長させてはならない、欲は思うままにさせてはならない」と言う。おごりも欲もまた感情の種であり、どうして必ずしもこれを断ち滅ぼす必要があろうか。ただ増長させてはならず、思うままにさせてはならないというだけである。『大学』に「敖惰(おごりと怠り)」が人の情の一つとして挙げられていることを、人はしばしば疑わしく思うが、私はそうは思わない。
解説
聖賢も同じ体を持つ人である以上、おごりや欲といった感情を持つのは当然だと一斎は言います。『礼記』曲礼の「敖は長ずべからず、欲は従にすべからず」は、それらを消し去れとは言わず、伸ばしすぎるな、ほしいままにするなと説いているのだ、という読み方です。『大学』には人が偏りやすい情として「敖惰する所」が挙げられており、君子の心にそんな情があるのかと疑う学者もいましたが、一斎はそれを自然なことと受けとめました。感情を根絶しようとする厳格主義を退け、制御に重きを置くところに一斎の人間観があります。自分の中の慢心や欲を否定するより、どこで歯止めをかけるかを考える方が現実的だと気づかせてくれます。
この章句が説くこと
情欲克己人間観中庸
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