言志四録 / 言志録 第百八十三条 一点の便己
處事雖有理。而一點便己挾在其內。則於理即做一點障碍。理亦不暢。
新字:処事雖有理。而一点便己挟在其内。則於理即做一点障碍。理亦不暢。
書き下し
事を処するに理有りと雖も、而も一点の便己其の内に挟在すれば、則ち理に於て即ち一点の障碍を做し、理も亦暢びず。
現代語訳
事を処理するのに道理にかなっていても、そこにほんのわずかでも自分の都合を図る気持ちがはさまっていれば、その道理にとってすぐに一点の妨げとなり、道理もまたのびやかに通らなくなる。
解説
事を処するときの動機の純粋さを問う一条です。筋の通った判断であっても、その中に少しでも「自分に都合がよい」という私心がまじれば、それが理を曇らせる障りとなり、理が十分に働かなくなると一斎は言います。「便己」とは自分の便宜を図ることです。外から見ればまっとうな判断でも、内に私心があれば、どこかで無理が生じ、人にもそれが感じ取られます。朱子学の「天理と人欲」の対比を、日常の処事の場面に引き寄せたものです。正しいことを言っているのに人がついてこないとき、その判断のどこかに自分の都合が紛れ込んでいないか、点検する手がかりになる言葉です。
この章句が説くこと
私心理公正処事動機
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