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言志四録 / 言志録 第百七十条 窮理は義に理むるのみ

窮理二字。原本易傳。和順于道德而理于義。窮理盡性以至于命。故吾儒窮理。唯理於義而已。義在於我。窮理亦在於我。若以徇外逐物爲窮理。恐終使歐邏巴人賢於吾儒。可乎。

新字:窮理二字。原本易伝。和順于道徳而理于義。窮理尽性以至于命。故吾儒窮理。唯理於義而已。義在於我。窮理亦在於我。若以徇外逐物為窮理。恐終使欧邏巴人賢於吾儒。可乎。

書き下し

窮理の二字は、原と易伝に本づく。「道徳に和順して義に理め、理を窮め性を尽して以て命に至る」と。故に吾が儒の窮理は、唯だ義に理むるのみ。義は我に在り、窮理も亦我に在り。若し外に徇ひ物を逐ふを以て窮理と為さば、恐らくは終に欧邏巴人をして吾が儒より賢ならしめん。可ならんや。

現代語訳

窮理という二字は、もともと『易』の説卦伝に基づく。そこには「道徳に和らぎ従って義によって筋道を立て、理を窮め性を尽くして天命に至る」とある。だから我々儒者の窮理とは、ただ義によって物事を正しく処することにほかならない。義は自分の内にあり、窮理もまた自分の内にある。もし外の物事に従い、物を追いかけることを窮理だとするなら、おそらくついにはヨーロッパ人のほうを我々儒者より賢いとすることになってしまうだろう。それでよいのか。

解説

前の条に続き、西洋の窮理と儒学の窮理の違いを論じています。「窮理」の語は易の説卦伝に出るもので、一斎はその文脈から、儒学の窮理とは外の物を調べ尽くすことではなく、義に照らして物事を正しく処すること、つまり自分の内なる道理を究めることだと言います。外物の探究を窮理と呼ぶなら、その点ではヨーロッパ人の方が儒者より優れていることになってしまう、という皮肉な指摘には、西洋科学の力を認めざるをえない当時の知識人の複雑な思いもにじみます。知識や技術をいくら積み上げても、それをどう正しく用いるかは別の問いです。専門性を磨くことと、判断の筋を磨くことの違いを考えさせる一条です。

この章句が説くこと

窮理義易洋学内省

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