言志四録 / 言志録 第百六十七条 今の儒は今の釈を攻むる勿れ
今之儒。勿攻今之釋。儒既非古之儒。釋亦非古之釋。
新字:今之儒。勿攻今之釈。儒既非古之儒。釈亦非古之釈。
書き下し
今の儒は、今の釈を攻むること勿れ。儒既に古の儒に非ず、釈も亦古の釈に非ず。
現代語訳
今の儒者は、今の仏教を攻撃してはならない。儒者がすでに昔の儒者ではなく、仏教徒もまた昔の仏教徒ではないのだから。
解説
儒者による排仏論に対する、一斎の醒めた見方を示した一条です。宋の儒者以来、儒者は仏教を人倫を捨てる教えとして批判してきましたが、一斎は、今の儒者はもはや古の儒者の道を体現しておらず、今の僧もまた古の仏者ではない、と言います。どちらも本来の姿を失っているのに、看板だけで相手を攻めるのは空しい、ということでしょう。前の条で学派の門戸を掲げることを戒めたのと同じ筋にあります。相手を批判する前に、まず自分が本来の理想に適っているかを問え、という含みがあります。他社や他部署を批判する前に、自分たちは初心の水準を保てているのかを考えさせる言葉です。
この章句が説くこと
儒学仏教自省批判本来
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