格言聯璧 / 悖凶類・陳仲哇き出だして潔を示す
陳仲出哇以示潔,予以為哇其滓也,其味已入於腸矣,當腸而滌之。 詆緇黃之背本宗,或矜帶壞聖賢名教。 詈青紫之忘故友,乃衡茅傷骨肉天倫。
新字:陳仲出哇以示潔,予以為哇其滓也,其味已入於腸矣,当腸而滌之。 詆緇黄之背本宗,或矜帯壊聖賢名教。 詈青紫之忘故友,乃衡茅傷骨肉天倫。
書き下し
陳仲哇き出だして以て潔を示す、予以為へらく哇くは其の滓なり、其の味已に腸に入れり、當に腸にして之を滌ふべし。 緇黃の本宗に背くを詆るも、或いは矜帶は聖賢の名教を壞る。 青紫の故友を忘るるを詈るも、乃ち衡茅は骨肉の天倫を傷る。
現代語訳
陳仲子(戦国時代の斉の人で、清廉を貫いたとされる)は、食べたものを吐き出して潔白さを示しました。私が思うに、吐き出したのはその残りかすにすぎず、その味はすでに腸に入ってしまっています。腸を(切り開いて)洗うべきだったのです。 僧侶や道士が自分の宗旨に背いているとそしりながら、衣冠を整えた儒者のほうこそ、聖賢の教えを壊していることがあります。 高位高官が昔の友を忘れていると罵りながら、粗末な家に住む者のほうこそ、肉親の人の道を傷つけていることがあります。
解説
最初の句は前の単位の巣父の句と対になり、『孟子』滕文公下に見える陳仲子の故事を取り上げます。陳仲子は兄の禄を不義として受けず、母が出した鵞鳥の肉が兄への贈り物だったと知ると、外に出て吐き出したといわれます。著者は、吐いても味は腸に入っている、洗うべきは腸だと皮肉り、耳を洗った巣父と同じく、見せるための潔癖を批判します。原文の「當腸而滌之」は前の単位の「當剖心而浣之」と対になるはずで、剖の字が落ちているとみられます。後半の対句は、緇黃つまり僧と道士、青紫つまり高官を責める人が、自分も同じ過ちをしていないかと問います。人を批判するときこそ、自分に同じ欠点がないかを振り返りたいものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
偽善自省廉潔処世批判
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