呻吟語 / 内篇・談道・儒衣儒冠にして欲多し
儒戒聲色貨利,釋戒色聲香味,道戒酒色財氣。總歸之無欲,此三氏所同也。儒衣儒冠而多欲,怎笑得釋道?
新字:儒戒声色貨利,釈戒色声香味,道戒酒色財気。総帰之無欲,此三氏所同也。儒衣儒冠而多欲,怎笑得釈道?
書き下し
儒は聲色貨利を戒め、釋は色聲香味を戒め、道は酒色財氣を戒む。總て之を無欲に歸す、此れ三氏の同じき所なり。儒衣儒冠にして欲多くんば、怎ぞ釋道を笑ひ得ん。
現代語訳
儒は音や色や財や利を戒め、仏は色や声や香や味を戒め、道は酒や色や財や気を戒めます。すべて欲を無くすことに行き着く点で、三家は同じです。儒の衣を着て儒の冠をかぶりながら欲が多いのなら、どうして仏や道を笑えるでしょうか。
解説
三家が戒める中身を並べてみせると、言い方が違うだけで同じだと分かります。そのうえで最後の一行が、身内に向いた刃になります。儒者の格好をして欲だらけなら、他の教えを批判する資格はない。学派の優劣を論じる前に、自分の暮らしぶりを見よということです。呂坤が仏道を批判するとき、必ず自分の側も同じ基準で測っているのがよく分かる段です。
この章句が説くこと
三教無欲戒め批判自省
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