導師導古典を学びたいすべての人に

言志四録 / 言志録 第百四十五条 手巻を釈かざるの弊

有一耆宿好讀書。除飮食外。手不釋卷。以至於老。人皆稱篤學。以余視之。恐不濟事。渠其心常常放在書上。不收在腔子裏。人五官之用。須均齊役之。而渠精神耑注於目。目偏受其勞。而精神亦從昏瞶。如此則雖能看書。而决不能深造自得。便除是放心。且如孔門之敎。自終食至造次顚沛。不敢違仁。試思渠一生手不釋卷。放心如此。能不違仁否。

新字:有一耆宿好読書。除飲食外。手不釈巻。以至於老。人皆称篤学。以余視之。恐不済事。渠其心常常放在書上。不収在腔子裏。人五官之用。須均斉役之。而渠精神耑注於目。目偏受其労。而精神亦従昏瞶。如此則雖能看書。而決不能深造自得。便除是放心。且如孔門之教。自終食至造次顛沛。不敢違仁。試思渠一生手不釈巻。放心如此。能不違仁否。

書き下し

一耆宿有り、書を読むことを好み、飲食を除くの外、手巻を釈かず、以て老に至る。人皆篤学と称す。余を以て之を視るに、恐らくは事を済さざらん。渠は其の心常常書上に放在して、腔子裏に収在せず。人の五官の用は、須らく均斉に之を役すべし。而るに渠は精神耑ら目に注ぎ、目偏に其の労を受けて、精神も亦従ひて昏瞶す。此くの如くんば則ち能く書を看ると雖も、決して深造自得する能はず。便ち除だ是れ放心なり。且つ孔門の教の如きは、終食より造次顛沛に至るまで、敢て仁に違はず。試みに思へ、渠一生手巻を釈かず、放心此くの如くにして、能く仁に違はざるや否や。

現代語訳

ある老大家がいて、読書を好み、食事のとき以外は手から書物を離さず、そのまま年老いた。人はみな篤学の人とたたえた。しかし私から見れば、おそらく役には立たないだろう。彼は心をいつも書物の上に置きっぱなしにしていて、自分の身の内に収めていない。人の五官の働きは、均等に用いなければならない。ところが彼は精神をもっぱら目に注ぐので、目だけがその疲れを受け、精神もそれにつれてぼんやりしてしまう。こうなると、書物を読むことはできても、決して深く学んで自ら会得することはできない。それはただ心を放ち失っているにすぎない。そのうえ孔子の門の教えでは、食事を終えるわずかな間から、とっさの時や、つまずき倒れる時に至るまで、決して仁から離れないとされる(論語)。試みに考えてみよ。彼が一生書物を手から離さず、これほど心を放ち失っていて、仁から離れずにいられるかどうか。

解説

読書家として名高い老学者を、一斎があえて批判した一条です。寝食以外は書を手放さないのは一見篤学ですが、心がいつも書物の上に出ていってしまい、自分の内に収まっていない。孟子の言う「放心」、すなわち心を放ち失った状態だと言います。目ばかり酷使して精神がぼんやりすれば、読んだことが深く身につく「深造自得」には至りません。さらに論語の「造次にも必ず是に於てし、顛沛にも必ず是に於てす」を引き、読書に没頭して日々の心の在り方を失えば、かえって仁から遠ざかると問いかけます。インプットの量を誇る前に、それを自分の内で咀嚼し、行いに生かしているかを問い直させる言葉です。

この章句が説くこと

読書放心深造自得仁心術

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る