言志四録 / 言志録 第百二十八条 恒に病む者は痛みを覚えず
身恒病者。不覺其痛。心恒病者。亦不覺其痛。
新字:身恒病者。不覚其痛。心恒病者。亦不覚其痛。
書き下し
身の恒に病む者は、其の痛みを覚えず。心の恒に病む者も、亦其の痛みを覚えず。
現代語訳
身体がいつも病んでいる者は、その痛みを感じなくなる。心がいつも病んでいる者もまた、その痛みを感じなくなる。
解説
病に慣れることの怖さを、身体と心に並べて示した短い一条です。持病を抱え続けると、人はその痛みに慣れて感じなくなります。心も同じで、慢心や怠惰、ひがみといった心の病が常態になると、本人はそれを病と気づかなくなってしまいます。痛みは本来、異常を知らせる大切な信号です。それが鈍ったとき、病はかえって深く進みます。この条は、自分の心の状態に敏感であり続けることの大切さを示しています。組織にも、慢性化した問題に誰も違和感を持たなくなる状態があります。「いつものこと」と思っている中に、実は痛みを感じなくなった病が潜んでいないか、見直す手がかりになる言葉です。
この章句が説くこと
心術自省慢心心身気づき
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