葉隠 / 聞書第二
少し眼見え候者は、我が長けを知り、非を知りたりと思ふゆゑ、尚々自慢になるものなり。實に我が長け、我が非を知る事成り難きものの由。海音和尚御話なり。
新字:少し眼見え候者は、我が長けを知り、非を知りたりと思ふゆゑ、尚々自慢になるものなり。実に我が長け、我が非を知る事成り難きものの由。海音和尚御話なり。
書き下し
少し眼(め)見え候者は、我が長(た)けを知り、非を知りたりと思ふゆゑ、尚々(なおなお)自慢になるものなり。実(じつ)に我が長け、我が非を知る事成り難(がた)きものの由。海音和尚(かいおんおしょう)御話(おはなし)なり。
現代語訳
少しばかり物の見える者は、自分の長所を知り、自分の欠点も知り尽くしたと思い込むために、かえっていっそう自慢になってしまうものだ。本当のところ、自分の長所や自分の欠点を正しく知るのは、なかなか難しいことなのである。これは海音和尚のお話である。
解説
自己を知ることの難しさを説いた、海音和尚の言葉です。少し物事が見えるようになった者ほど、「自分の長所も短所ももう分かっている」と思い込み、かえって自慢が強くなる——中途半端な自己認識こそが慢心を生むという鋭い洞察です。本当は、自分の長所も欠点も正しく把握することは至難のわざ。だからこそ、分かったつもりを戒め、謙虚に学び続ける姿勢が求められます。これは古今東西の賢者が共通して説くところで、「無知の知」にも通じます。自己評価に自信を持ちすぎず、他者の目に耳を傾ける——現代の自己成長や対人関係にもそのまま生きる普遍的な教えです。
この章句が説くこと
葉隠自己認識慢心謙虚無知の知中途半端
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