言志四録 / 言志録 第九十五条 地の天に順ふ
耳目口鼻。四肢百骸。各守其職以聽乎心。是地順乎天也。
新字:耳目口鼻。四肢百骸。各守其職以聴乎心。是地順乎天也。
書き下し
耳目口鼻、四肢百骸、各其の職を守りて、以て心に聴く。是れ地の天に順ふなり。
現代語訳
耳・目・口・鼻、手足やあらゆる骨格が、それぞれ自分の務めを守り、心の命令に従う。これが、地が天に従うということである。
解説
前条の「地道」を人の身体に当てはめた一条です。耳目口鼻や手足、全身の骨格は、それぞれに見る・聞く・食べる・動くという職分を持ち、それを守りながら心の指図に従っています。これを一斎は、大地が天に従う姿と同じだと見ます。心を天、身を地に配する考え方で、孟子が耳目を「小体」、心を「大体」と呼び分けたことにも通じます。身体の各部が勝手に動き出せば、欲に流されて心の主宰が失われます。組織にたとえれば、各部門がそれぞれの持ち場を守りつつ、全体の方針に沿って動くことに当たるでしょう。部分の自律と全体の統一をどう両立させるかを考える手がかりになります。
この章句が説くこと
心身職分天地主宰統一
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