言志四録 / 言志録 第八十条 邦を為むるは閫内より
爲邦下手處。在閫內之治。禁淫靡。省冗費。最爲先務。
新字:為邦下手処。在閫内之治。禁淫靡。省冗費。最為先務。
書き下し
邦を為むるの下手の処は、閫内の治に在り。淫靡を禁じ、冗費を省くを、最も先務と為す。
現代語訳
国を治めるのに手をつけるべきところは、奥向き、つまり君主の家庭内を治めることにある。華美でみだらな風を禁じ、無駄な出費を省くことが、最も先にすべき務めである。
解説
「閫」は門の内側、ここでは大名家の奥向き、君主の家庭を指します。国を治めるといっても、まず手をつけるべきは、領民や家臣ではなく、君主自身の足元である奥の暮らしだと一斎は言います。奥向きの贅沢や華美は、そのまま藩の財政を圧迫し、また家臣や領民の風俗にも影響します。だからまずそこでの淫靡を禁じ、冗費を省くのが先務だというのです。江戸後期、多くの藩が財政難に苦しみ、藩政改革ではしばしば奥向きの経費削減が大きな課題となりました。一斎自身も岩村藩の家老の家に生まれ、その実情をよく知っていたはずです。改革や経費削減を掲げるとき、まず自分とその周辺から始めているかを問う一条です。
この章句が説くこと
為政倹約率先垂範修身斉家改革
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