幽夢影 / 巻下・告子の甘食悅色を性と爲す
孩提之童,一無所知;目不能辨美惡,耳不能判淸濁,鼻不能別香臭,至若味之甘苦,則不第知之,且能之棄之。告子以甘食,悅色爲性,殆指此類耳!
新字:孩提之童,一無所知;目不能弁美悪,耳不能判清濁,鼻不能別香臭,至若味之甘苦,則不第知之,且能之棄之。告子以甘食,悦色為性,殆指此類耳!
書き下し
孩提の童は、一も知る所無し。目は美惡を辨ずる能はず、耳は淸濁を判ずる能はず、鼻は香臭を別つ能はず。味の甘苦の若きに至りては、則ち第に之を知るのみならず、且つ之を能くし之を棄つ。告子の甘食・悅色を以て性と爲すは、殆ど此の類を指すのみ。
現代語訳
幼い子どもは何ひとつ分かっていません。目は美しいものと醜いものを見分けられず、耳は澄んだ音と濁った音を聞き分けられず、鼻はよい香りと悪臭を嗅ぎ分けられません。ところが味の甘い苦いとなると、ただ分かるだけでなく、受け入れたり吐き出したりすることまでできます。告子(孟子と論争した思想家)が、うまいものを食べ美しいものを好むことを人の本性としたのは、おそらくこうしたことを指しているのでしょう。
解説
幼児の観察から、人の本性をめぐる古い論争に一つの見方を示した則です。告子は『孟子』に登場する思想家で、「食色は性なり」、つまり食欲と色欲こそが生まれつきの性質だと述べました。張潮は、赤ん坊は美醜も清濁も香臭も分からないのに、味だけは初めから好き嫌いがはっきりしていると指摘します。そこから、告子の言う本性とは、こうした生まれながらの反応のことだろうと推し量っています。性善か性悪かという大論争に正面から加わらず、身近な育児の実感から語るところが張潮らしい軽やかさです。理屈の前に、まず目の前の事実をよく見るという姿勢は、今も学ぶ価値があります。
この章句が説くこと
人性告子孟子学問観察
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