言志四録 / 言志録 第四十五条 寵過ぐるは怨みの招き
寵過者。怨之招也。昵甚者。疏之漸也。
書き下し
寵過ぐる者は、怨みの招きなり。昵しみ甚だしき者は、疏んずるの漸なり。
現代語訳
寵愛が度を過ぎるのは、怨みを招くもとである。なれ親しみが甚だしいのは、疎遠になっていく始まりである。
解説
特定の人を過度にかわいがると、かわいがられた本人が思い上がるだけでなく、周囲の妬みや不満を呼び込みます。また、なれなれしいほどの近さは、遠慮や敬意を失わせ、やがて小さな行き違いから関係を冷えさせるきっかけになります。一斎は、愛情や親しさそのものではなく、その「過ぎる」「甚だしい」ところに禍の芽を見ています。「漸」は物事がじわじわ進む始まりのことで、疎遠は突然ではなく、近すぎる時点ですでに始まっているという鋭い観察です。上司と部下、経営者と側近の関係でも、特定の人への偏った重用がチームに何をもたらすか、ほどよい距離とは何かを考える材料になる一条です。
この章句が説くこと
寵愛人間関係距離感中庸えこひいき
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