言志四録 / 言志録 第三十条 躬自ら厚くして薄く人を責む
自責嚴者。責人亦嚴。恕人寬者。自恕亦寬。皆不免於一偏。君子則躬自厚而薄責於人。
新字:自責厳者。責人亦厳。恕人寛者。自恕亦寛。皆不免於一偏。君子則躬自厚而薄責於人。
書き下し
自ら責むること厳なる者は、人を責むることも亦厳なり。人を恕すこと寛なる者は、自ら恕すことも亦寛なり。皆一偏を免れず。君子は則ち躬自ら厚くして、薄く人を責む。
現代語訳
自分を厳しく責める者は、人を責めるのも厳しい。人を大目に見て許す者は、自分を許すのも甘い。どちらも一方に偏ることを免れない。君子は、自分を責めることは厚くして、人を責めることは薄くする。
解説
自分への厳しさと他人への厳しさの関係を鋭く観察した条です。自分に厳しい人は他人にも厳しくなりがちで、他人に寛大な人は自分にも甘くなりがちだと一斎は言います。どちらも一方に偏っている。結びの「躬自ら厚くして、薄く人を責む」は『論語』衛霊公篇の言葉で、自分には厳しく、人には寛やかに、という非対称こそ君子のあり方だというのです。前条の「小徳は出入すとも可なり」を受けた条とも読めます。自分に厳しいことを誇りにしつつ、同じ基準を部下に押しつけていないか。厳しさの向け先を点検する材料になる一条です。
この章句が説くこと
自責寛恕君子厳しさ人の待ち方
関連する章句
-
『正法眼蔵随聞記』巻二我れ若かりし時、諸方の長老を歴観せしに、ある長老此の如く勧めて云く、巳前は眠る僧をば拳も欠けなんとするほどに打ちたるが、今は老後になりてちからよはくなりて、つよくも打ち得ざるほどに、よき僧も出来らざるなり、諸方の長老も坐を緩く勧る故に、仏法は衰微せるなり、我は弥よ打べきなりとのみ示されしなり、
-
言志四録・言志晩録 第二百六十条 老齢は慈に失す老齢は酷に失せずして、慈に失す。警むべし。
-
『呻吟語』外篇・治道・雷霆霜雪備はらずんば天を成すに足らず迂儒の識見は、二帝三王の事功を看得るに、只だ陽春雨露の嫗煦人に可なるに似て、再び一些の冷落嚴肅の氣無し。便ち是れ慈母も、也た小兒を訶罵する時有り。知らず、天地只だ恁の陽春ならば、甚の世界をか成さん。故に雷霆霜雪備はらずんば、以て天を成すに足らず。威怒刑罰用ひずんば、以て治を成すに足らず。只だ五臣のみ、還ほ一個の臯陶を要す。而して二十有二人、猶ほ四凶の誅有り。今只だ天德王道を把りて恁く秀雅溫柔と看得るは、豈に殺して怨まざるが、便ち是れ存神過化の處なるを知らんや。目下の作用は、須らく是れ汗吐下の後、四君子四物の百十劑を服して、才めて是れ治の體なるべし。
-
『呻吟語』内篇・存心・惡を惡むこと太だ嚴なるは、便ち是れ一惡惡を惡むこと太だ嚴なるは、便ち是れ一惡なり。善を樂しむこと甚だ亟なるは、便ち是れ一善なり。
-
『夜船閑話』序云く、師鵠林に住すること大凡四十年、鉢囊を掛けしより以来、雲水参玄の布衲纔かに門閫に跨れば、師の毒涎を甘なひ痛棒を滋として辞し去ることを忘るゝ者或は十年或は二十年、鵠林々下の塵と成る事も亦総に顧みざる底あり。尽く是叢林の頭角、四方の精英なり。
-
論語・学而篇子曰く、「君子重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る