学則 / 對西肥水秀才問
承問。孔孟之稱。是宋儒所掓也。韓愈始尊孟子。然尙猶以荀揚並稱。至於宋儒。躋其人於孔子。娩其書於論語。而孔孟論孟。爲儒者常言。昉于此也。其說蓋本諸道統。而道統之言。古無之。毋乃倣浮屠乎。夫子路者曾子所畏也。後世躋曾子四配。而坐子路廊廡。鄉黨尙齒。學校序齒。曾子之神其享諸。後儒乃以己之心黜陟古人。不佞則謂之僭妄已。
新字:承問。孔孟之称。是宋儒所掓也。韓愈始尊孟子。然尚猶以荀揚並称。至於宋儒。躋其人於孔子。娩其書於論語。而孔孟論孟。為儒者常言。昉于此也。其説蓋本諸道統。而道統之言。古無之。毋乃倣浮屠乎。夫子路者曽子所畏也。後世躋曽子四配。而坐子路廊廡。郷党尚歯。学校序歯。曽子之神其享諸。後儒乃以己之心黜陟古人。不佞則謂之僭妄已。
書き下し
問ふを承く。孔孟の称は、是れ宋儒の掓る所なり。韓愈始めて孟子を尊ぶ。然れども尚ほ猶ほ荀・揚を以て並称す。宋儒に至りて、其の人を孔子に躋し、其の書を論語に娩す。而して孔孟・論孟、儒者の常言と為るは、此に昉まるなり。其の説は蓋し諸を道統に本づく。而して道統の言は、古に之無し。毋乃ち浮屠に倣ふか。夫れ子路は曾子の畏るる所なり。後世曾子を四配に躋して、子路を廊廡に坐せしむ。郷党は歯を尚び、学校は歯を序す。曾子の神其れ諸を享けんや。後儒は乃ち己の心を以て古人を黜陟す。不佞は則ち之を僭妄と謂ふのみ。
現代語訳
お尋ねを承った。「孔孟」という呼び方は、宋の儒者がこしらえたものである。韓愈が初めて孟子を尊んだ。しかしそれでもまだ荀子・揚雄と並べて称していた。宋の儒者に至って、孟子という人物を孔子と並ぶ位に引き上げ、その書を『論語』と並べた。そして「孔孟」「論孟」が儒者のふだんの言い方となったのは、ここに始まる。その説はおそらく「道統」(聖人の道の正しい継承の系譜)に基づいている。しかし道統という言葉は古にはない。仏教(の法の系譜)を真似たのではなかろうか。そもそも子路は、曾子が畏れ敬った人である。ところが後世、曾子を四配(孔子廟で孔子に配祀される四人)に引き上げ、子路を廊下の脇の祠に座らせた。郷里では年齢を尊び、学校では年齢で順序を定める。曾子の霊は、はたしてそれを受け入れるだろうか。後世の儒者は、自分の心で古人の位を上げ下げしている。私はそれを僭越で身の程知らずというのである。
解説
この章句が説くこと
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