学則 / 對西肥水秀才問
數學亦不佞未之學然觀於今數學者流。設種種奇巧。以誇其精微。其實無用於世。故知古法必簡也。且如圓率乃積方以測之雖積至數萬。亦有數萬微塵弧不入算。豈足爲圓率哉。往歲清人獻朱載堉樂書朝廷俾不佞考閱中有圓率。本諸周禮周髀。其法如可據。然未審其如何。
新字:数学亦不佞未之学然観於今数学者流。設種種奇巧。以誇其精微。其実無用於世。故知古法必簡也。且如円率乃積方以測之雖積至数万。亦有数万微塵弧不入算。豈足為円率哉。往歳清人献朱載堉楽書朝廷俾不佞考閲中有円率。本諸周礼周髀。其法如可拠。然未審其如何。
書き下し
数学も亦た不佞未だ之を学ばず。然れども今の数学者流を観るに、種種の奇巧を設けて、以て其の精微を誇る。其の実は世に用無し。故に古法は必ず簡なるを知るなり。且つ円率の如きは、乃ち方を積みて以て之を測る。積みて数万に至ると雖も、亦た数万の微塵の弧の算に入らざる有り。豈に円率と為すに足らんや。往歳清人朱載堉の楽書を献ず。朝廷不佞をして考閲せしむ。中に円率有り。諸を周礼・周髀に本づく。其の法拠るべきが如し。然れども未だ其の如何を審らかにせず。
現代語訳
数学もまた、私はまだ学んでいない。しかし今の数学者の類を見ると、さまざまな奇抜で巧妙な問題をこしらえて、その精密さを誇っている。実際には世の役に立たない。だから古の方法は必ず簡単だったとわかる。また円周率などは、四角を積み重ねて測るものである。たとえ数万にまで積み重ねても、なお数万の塵のように細かい弧が計算に入らずに残る。どうしてそれで円周率といえようか。先年、清の人が朱載堉(明の楽律学者)の楽書を献上し、朝廷が私にそれを調べさせた。その中に円周率の法があり、『周礼』と『周髀算経』に基づいている。その法は拠り所にできそうである。しかし、それがどれほど確かなのかはまだ見極めていない。
解説
この章句が説くこと
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