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学則 / 對西肥水秀才問

宋儒皆韓奴隷。其所見正同。以不佞觀之。所謂巧言者。乃變亂是非以惑聽者之謂。吾未見左傳有之。孟則有之。大氏古來所傳。丘明作左傳之類。存之何害。强辨其非。古書皆廢。適見拗戾已。足下所引。竊比於我老彭同類者。誠然。然又有我與汝有是哉。願爲之宰之類竊比云。我云。尊崇甚至者。自非丘明匹矣。

新字:宋儒皆韓奴隷。其所見正同。以不佞観之。所謂巧言者。乃変乱是非以惑聴者之謂。吾未見左伝有之。孟則有之。大氏古来所伝。丘明作左伝之類。存之何害。強弁其非。古書皆廃。適見拗戻已。足下所引。窃比於我老彭同類者。誠然。然又有我与汝有是哉。願為之宰之類窃比云。我云。尊崇甚至者。自非丘明匹矣。

書き下し

宋儒は皆韓の奴隷にして、其の見る所正に同じ。不佞を以て之を観るに、所謂巧言なる者は、乃ち是非を変乱して以て聴く者を惑はすの謂なり。吾未だ左伝に之有るを見ず。孟には則ち之有り。大氏古来伝ふる所の、丘明左伝を作るの類は、之を存して何の害かあらん。強ひて其の非を弁ぜば、古書皆廃せん。適に拗戻を見るのみ。足下の引く所、窃かに我が老彭に比すと同類なりとするは、誠に然り。然れども又た我と汝と是れ有るかな、願はくは之が宰と為らんの類有り。窃かに比すと云ひ、我と云ふは、尊崇甚だ至れる者にして、自ら丘明の匹に非ず。

現代語訳

宋の儒者はみな韓愈の奴隷であって、その見方はまったく同じである。私の見るところ、いわゆる「巧言」とは、是非をかき乱して聞く者を惑わすことをいう。私は『左伝』にそれがあるのを見たことがない。『孟子』にはそれがある。おおよそ古来伝わっている、左丘明が『左伝』を作ったというたぐいの説は、そのまま残しておいて何の害があろうか。無理にその誤りを論じ立てれば、古書はみな廃れてしまう。ただひねくれた考えをさらけ出すだけである。あなたが(『論語』の左丘明の句を)「ひそかに我が老彭になぞらえる」(『論語』述而)と同類だとされるのは、確かにその通りである。しかし(孔子の言葉には)また「ただ私とお前だけがこれをそなえている」「(顔回のために)その家宰になりたい」といった類のものもある。「ひそかになぞらえる」と言い、「我が」と言うのは、尊崇の念がきわめて深い表現であって、もとより左丘明の句とは同列ではない。

解説

宋儒はみな韓愈の奴隷だと手厳しく言い切ったうえで、徂徠は「巧言」を、是非をかき乱して聞く者を惑わす言葉だと定義し直す。そうした言葉は『左伝』にはなく、むしろ『孟子』にあるという。孟子の弁舌を説得の術と見る徂徠らしい評価である。そして古来の伝承は、確かな反証がない限り残しておけばよく、無理に否定し立てれば古書はすべて廃れてしまうと戒める。新説を唱えて先人を否定するのは容易だが、伝えられたものを生かして使う方が、多くの場合実りが大きい。疑うことにも節度が要るのである。

この章句が説くこと

巧言左伝孟子伝承古書宋儒

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