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学則 / 對西肥水秀才問

承問。左傳魯左史作。非丘明明儒亦有此說。按丘明作左傳。其說尙矣。論語左丘明亦同人。古來無異說。乃宋儒泥韓愈浮誇之言。而疑耻巧言令色者非其人由此而後。異說紛如。蓋六經之外。文章之妙。無過左傳者古之文章。乃先王禮樂之化所生。故其絢爛乃爾。如左傳易傳禮運樂記是也。至於孟子時。禮樂之化漸漓。其辭質勝。是爲變調。韓祖孟子。務去陳言。故貶左氏爲浮誇。此文人競長常態。豈足援以爲斷哉。

新字:承問。左伝魯左史作。非丘明明儒亦有此説。按丘明作左伝。其説尚矣。論語左丘明亦同人。古来無異説。乃宋儒泥韓愈浮誇之言。而疑耻巧言令色者非其人由此而後。異説紛如。蓋六経之外。文章之妙。無過左伝者古之文章。乃先王礼楽之化所生。故其絢爛乃爾。如左伝易伝礼運楽記是也。至於孟子時。礼楽之化漸漓。其辞質勝。是為変調。韓祖孟子。務去陳言。故貶左氏為浮誇。此文人競長常態。豈足援以為断哉。

書き下し

問ふを承く。左伝は魯の左史の作にして、丘明に非ず、明儒も亦た此の説有りと。按ずるに丘明左伝を作るとは、其の説尚し。論語の左丘明も亦た同人なり。古来異説無し。乃ち宋儒は韓愈の浮誇の言に泥みて、巧言令色を恥づる者は其の人に非ずと疑ふ。此より後、異説紛如たり。蓋し六経の外、文章の妙、左伝に過ぐる者無し。古の文章は、乃ち先王の礼楽の化の生ずる所なり。故に其の絢爛なること乃ち爾り。左伝・易伝・礼運・楽記の如き是れなり。孟子の時に至りて、礼楽の化漸く漓く、其の辞質勝つ。是れ変調為り。韓は孟子を祖とし、務めて陳言を去る。故に左氏を貶して浮誇と為す。此れ文人の長を競ふ常態なり。豈に援きて以て断と為すに足らんや。

現代語訳

お尋ねを承った。「『左伝』は魯の左史(記録官)が作ったもので、左丘明の作ではない。明の儒者にもこの説がある」とのことである。考えてみると、左丘明が『左伝』を作ったという説は古くからある。『論語』に見える左丘明も同じ人物である。古来、異説はなかった。ところが宋の儒者が、韓愈が『左伝』を「浮誇(うわべが華美で大げさ)」と評した言葉にとらわれて、巧言令色を恥じた(『論語』の)左丘明はその作者ではないと疑った。これ以後、異説が入り乱れるようになった。思うに六経のほかで、文章の見事さにおいて『左伝』にまさるものはない。古の文章は、先王の礼楽の感化から生まれたものである。だからあれほど絢爛としているのである。『左伝』『易伝』、『礼記』の礼運篇・楽記篇がそれである。孟子の時代になると、礼楽の感化はしだいに薄れ、その言葉は質朴さが勝った。これは変調である。韓愈は孟子を祖として、努めて古い言い回しを捨て去った。だから『左伝』をおとしめて「浮誇」と言ったのである。これは文人が互いに優劣を競うよくある姿にすぎない。どうしてそれを引いて判断の根拠にできようか。

解説

第三条は『左伝』の作者論である。左丘明の作ではないという説に対し、徂徠は古来の通説を守り、異説は宋儒が韓愈の「浮誇」という評にとらわれて生まれたものだとする。六経の外で文章の妙は『左伝』にまさるものはなく、それは先王の礼楽の感化から生まれた絢爛さだという。孟子以後は言葉が質朴に傾いた変調であり、孟子を祖とする韓愈が『左伝』を貶したのは文人の張り合いにすぎない。権威ある人の一言が後世の定説をゆがめることはよくある。評価の出どころと、その人の立場を確かめる用心が要る。

この章句が説くこと

左伝文章礼楽韓愈孟子宋儒

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