学則 / 對西肥水秀才問
如孔子以前。則詩存人口。禮樂皆以人傳之。所謂文武之道未墮地而在人是也。是皆未嘗有書者審矣。而禮之有書。自孔門始。其事見戴記。今觀儀禮十七篇。直錄升降進退器數之詳。而未嘗言義理。逈異於後儒所見。則所謂禮經者。眞耳。以此推之。樂亦譜已。祇古譜亡失。故謂樂亡者。不可謂非也。詩亦至孔門始載諸簡策書則史官所錄。自古有之。蓋古無它書。書唯是已。故得專書名。論語易傳左氏戴記家語孟荀晏墨諸家所引詩書。與今存者適同。則其爲古經。豈容疑乎。
新字:如孔子以前。則詩存人口。礼楽皆以人伝之。所謂文武之道未堕地而在人是也。是皆未嘗有書者審矣。而礼之有書。自孔門始。其事見戴記。今観儀礼十七篇。直録升降進退器数之詳。而未嘗言義理。逈異於後儒所見。則所謂礼経者。真耳。以此推之。楽亦譜已。祇古譜亡失。故謂楽亡者。不可謂非也。詩亦至孔門始載諸簡策書則史官所録。自古有之。蓋古無它書。書唯是已。故得専書名。論語易伝左氏戴記家語孟荀晏墨諸家所引詩書。与今存者適同。則其為古経。豈容疑乎。
書き下し
孔子以前の如きは、則ち詩は人の口に存し、礼楽は皆人を以て之を伝ふ。所謂文武の道未だ地に墜ちずして人に在りとは是れなり。是れ皆未だ嘗て書有らざる者なること審かなり。而して礼の書有るは、孔門より始まる。其の事戴記に見ゆ。今儀礼十七篇を観るに、直に升降進退器数の詳を録して、未だ嘗て義理を言はず、後儒の見る所に逈かに異なれば、則ち所謂礼経なる者は、真なるのみ。此を以て之を推すに、楽も亦た譜のみ。祇だ古譜亡失す。故に楽亡ぶと謂ふ者も、非と謂ふべからざるなり。詩も亦た孔門に至りて始めて諸を簡策に載す。書は則ち史官の録する所にして、古より之有り。蓋し古は它の書無く、書は唯だ是のみ。故に専ら書の名を得たり。論語・易伝・左氏・戴記・家語・孟・荀・晏・墨の諸家の引く所の詩書は、今存する者と適ま同じ。則ち其の古経たること、豈に疑ひを容れんや。
現代語訳
孔子以前については、詩は人々の口に伝わり、礼楽はみな人によって伝えられた。いわゆる「文王・武王の道はまだ地に落ちず、人のうちにある」(『論語』)とはこのことである。これらがかつて書物になっていなかったことは明らかである。礼が書物になったのは孔子の門下からで、そのことは『礼記』(戴記)に見える。今『儀礼』十七篇を見ると、昇り降り・進み退き・器物や数量の詳細をそのまま記録していて、義理を論じたことがなく、後世の儒者の考えとはまるで違う。してみると、いわゆる礼経は本物である。これから推せば、楽もまた楽譜であった。ただ古い楽譜が失われたのである。だから「楽は滅びた」と言うのも間違いとは言えない。詩もまた孔子の門下になって初めて竹簡に書き記された。『書』は史官の記録したもので、古くからあった。思うに古には他に書物がなく、書物といえばこれだけだった。だから「書」という名をもっぱら得たのである。『論語』『易伝』『左伝』『礼記』『孔子家語』や孟子・荀子・晏子・墨子など諸家が引く『詩』『書』は、今に伝わるものとちょうど同じである。それが古の経典であることに、どうして疑いをさしはさむ余地があろうか。
解説
この章句が説くこと
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