学則 / 對西肥水秀才問
士之生於今。禮殘樂亡。無如之何苟非聖人復生。孰能制作。故學者唯能涵濡于詩書與禮。優游厭飫。久而化之。習以成性。而德慧術知。由此以出。則其所見。濯然習俗泱涊之中。庶足以弗悖耳。傳曰。詩書者。義之府也。禮樂者。德之則也。不佞謂。詩書辭也。禮樂事也。義存乎辭。禮在乎事。故學問之要。卑求諸辭與事。而不高求諸性命之微。議論之精。則有所憑據。可識後世紕繆所在焉。不爾。徒以己之心與理言之。泛然莫有底止耳。
新字:士之生於今。礼残楽亡。無如之何苟非聖人復生。孰能制作。故学者唯能涵濡于詩書与礼。優游厭飫。久而化之。習以成性。而徳慧術知。由此以出。則其所見。濯然習俗泱涊之中。庶足以弗悖耳。伝曰。詩書者。義之府也。礼楽者。徳之則也。不佞謂。詩書辞也。礼楽事也。義存乎辞。礼在乎事。故学問之要。卑求諸辞与事。而不高求諸性命之微。議論之精。則有所憑拠。可識後世紕繆所在焉。不爾。徒以己之心与理言之。泛然莫有底止耳。
書き下し
士の今に生まるる、礼残はれ楽亡ぶ。之を如何ともする無し。苟も聖人復た生まるるに非ずんば、孰か能く制作せん。故に学者は唯だ能く詩書と礼とに涵濡し、優游厭飫し、久しくして之に化し、習ひて以て性と成らば、而ち徳慧術知、此に由りて以て出づ。則ち其の見る所、習俗泱涊の中に濯然として、庶はくは以て悖らざるに足らんのみ。伝に曰く、詩書は義の府なり。礼楽は徳の則なりと。不佞謂へらく、詩書は辞なり。礼楽は事なり。義は辞に存し、礼は事に在り。故に学問の要は、卑く諸を辞と事とに求めて、高く諸を性命の微、議論の精に求めざれば、則ち憑拠する所有りて、後世の紕繆の所在を識るべし。爾らずんば、徒らに己の心と理とを以て之を言ひ、泛然として底止すること莫きのみ。
現代語訳
今の世に生まれた士人にとって、礼は損なわれ楽は滅びてしまっている。どうしようもない。聖人が再び生まれでもしなければ、誰が礼楽を作り直せようか。だから学ぶ者はただ『詩』『書』と礼にどっぷりと浸り、ゆったりと心ゆくまで味わい、長い時間をかけて感化され、習いが性となれば、徳・知恵・技術・知識はそこから生まれてくる。そうすればその見識は、濁った世俗の習わしの中にあってもすがすがしく際立ち、どうにか(聖人の道に)背かずにすむであろう。伝(『左伝』)に「詩書は義の蔵であり、礼楽は徳の手本である」とある。私の考えでは、詩書は言葉(辞)であり、礼楽は事柄(事)である。義は言葉の中にあり、礼は事柄の中にある。だから学問の要は、低く身近に言葉と事柄に求めて、高く性命の微妙さや議論の精緻さに求めないことである。そうすれば拠り所ができて、後世の誤りがどこにあるかを見抜ける。そうでなければ、ただ自分の心と理屈で語るばかりで、とりとめなく行き着くところがない。
解説
この章句が説くこと
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