学則 / 對西肥水秀才問
文章亦然。禮樂亡而言不君子。漢承楚風。辭賦始盛。迨於五胡猾夏而古今之言遂判。佛老清談乘之。士遂鄙經術而事辭藻。隋因之設科擧。而下迨宋明。士非此不得顯仕。中間雖韓愈倡古文。程朱二公倡古學亦皆以今言視古言。而郡縣法律科擧者。時王之制也。不可得而違焉。人生其世。耳目爲積習所錮。則經術吏治。文士武人。至今不可得而合焉。要之其德與材。不從詩書禮樂來。而經術政事文章。皆與世推移。滔滔乎莫能返故也。
新字:文章亦然。礼楽亡而言不君子。漢承楚風。辞賦始盛。迨於五胡猾夏而古今之言遂判。仏老清談乗之。士遂鄙経術而事辞藻。隋因之設科挙。而下迨宋明。士非此不得顕仕。中間雖韓愈倡古文。程朱二公倡古学亦皆以今言視古言。而郡県法律科挙者。時王之制也。不可得而違焉。人生其世。耳目為積習所錮。則経術吏治。文士武人。至今不可得而合焉。要之其徳与材。不従詩書礼楽来。而経術政事文章。皆与世推移。滔滔乎莫能返故也。
書き下し
文章も亦た然り。礼楽亡びて言君子ならず。漢は楚の風を承け、辞賦始めて盛んなり。五胡夏を猾すに迨びて、古今の言遂に判る。仏老の清談之に乗じ、士遂に経術を鄙しみて辞藻を事とす。隋之に因りて科挙を設け、下りて宋明に迨ぶまで、士此に非ざれば顕仕するを得ず。中間に韓愈古文を倡へ、程朱二公古学を倡ふと雖も、亦た皆今言を以て古言を視る。而して郡県・法律・科挙なる者は、時王の制なり。得て違ふべからず。人其の世に生まれ、耳目積習の錮ぐ所と為れば、則ち経術と吏治、文士と武人、今に至るまで得て合すべからず。之を要するに其の徳と材と、詩書礼楽より来らずして、経術・政事・文章、皆世と推移し、滔滔乎として能く返ること莫きが故なり。
現代語訳
文章もまた同じである。礼楽が滅びて、言葉は君子のものでなくなった。漢は楚の気風を受け継いで、辞賦が盛んになり始めた。五胡が中国を乱すに及んで、古の言葉と今の言葉はついに分かれた。仏教・老荘の清談がそれに乗じ、士人は経学を卑しんで美辞麗句を事とするようになった。隋はこれによって科挙を設け、下って宋・明に至るまで、士人はこれによらなければ高い官職に就けなかった。その間、韓愈が古文を唱え、程子・朱子の二人が古の学を唱えたけれども、やはりみな今の言葉で古の言葉を読んだ。そして郡県・法律・科挙は、その時代の王の定めた制度であるから、背くことはできない。人がその世に生まれ、耳目が積み重なった習わしに閉ざされれば、経学と役人の政治、文人と武人は、今に至るまで一つになることができない。要するに、その徳と才能が『詩』『書』と礼・楽から来ておらず、経学・政治・文章がみな世の移り変わりとともに流され、滔々として元に戻れなくなったからである。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之五天下の事、上世の法は簡略にして、後世に至りて益詳密なり。学術制度の如き皆然り。此れ古今の気運の漸く開くるなり。自然の時勢、当に此くの如くなるべし。六経の説く所の者の如きは、其の大略なり。後儒世に出づるに至りて、其の説を為すや、漸く潤色を加へて詳細なり。漢魏以下の諸子及び宋の諸大儒の説く所の如き是れなり。然り而して後儒の説は精詳を加ふと雖も、皆是れ六経語孟の中に有る所の道理を、転た論述して漸く細密なる者なり。六経語孟の範囲の外に出づること能はず。然れども上世の聖人の説く所、其の簡略なる者は、差誤有るべからず。後世の諸儒の論ずる所、其の繁詳なる者は、或いは時として疎漏過誤有り。蓋し其の略なる者は、道理簡要にして、該閲する所周偏なり。其の詳なる者は、論説繁衍して、分析する所或いは過誤有るなり。暦学の如き、其の法後世に至りて益精しく、頗る古人の言ひ到らざる処有り。然れども虞書の中の数語暦象を説く者は、其の根源にして、後世の暦を説く者は、此の規模の外に出づること能はず。其の余の法術も亦皆此くの如し。
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徒然草・第22段何事も古き世のみぞ慕はしき。今様は無下に卑しくこそなり行くめれ。かの木の道の匠のつくれる美しき器も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞいふ詞も、口惜しうこそなりもて行くなれ。古は、「車もたげよ。」「火掲げよ。」とこそいひしを、今やうの人は、「もてあげよ。」「かきあげよ。」といふ。主殿寮の「人数だて。」といふべきを、「立明し白くせよ。」といひ、最勝講の御聴聞所なるをば、「御講の廬。」とこそいふべきを、「講廬。」といふ、口をしとぞ、古き人の仰せられし。
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『学則』對西肥水秀才問然るに世の自ら好しとする者は、多く謂ふ、古は自ら古、今は自ら今、何ぞ必ずしも古を学ばんと。自ら以て達すと為す。殊に知らず、古には聖人有りて、今は聖人無きことを。則ち其の人の為す所の今なるは、誠に誣ひず。而して其の能く聖人の道に悖らざる者は、吾未だ之を信ぜず。其の人自ら己の心を以て之を断じ、是れ古の聖人に悖らずと謂はば、則ち其の人自ら以て聖と為すなり。豈に妄ならずや。乃ち其の習ふ所に溺れ、往往乎として之に語るも通ずる能はず。故に不佞未だ嘗て人の為に之を言はず。争ひを悪めばなり。今足下の見る所、不佞と符す。故に詳らかに之を言ふのみ。
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