学則 / 與平子彬書
孔門弟子。唯游夏文見存。子游作禮運其稱言偃者。自稱詞明甚。世儒鹵莽。不深考其然也。四科稱文學豈非善文章邪。若謂通經。則德行政事言語。不通經而能乎。史遷既稱。身通六藝者。七十二人。可以見已。
新字:孔門弟子。唯游夏文見存。子游作礼運其称言偃者。自称詞明甚。世儒鹵莽。不深考其然也。四科称文学豈非善文章邪。若謂通経。則徳行政事言語。不通経而能乎。史遷既称。身通六芸者。七十二人。可以見已。
書き下し
孔門の弟子、唯だ游・夏の文のみ存せらる。子游は礼運を作る。其の言偃と称する者は、自ら称するの詞なること明らかなること甚だし。世儒は鹵莽にして、深く其の然るを考へざるなり。四科に文学と称するは、豈に文章を善くするに非ずや。若し経に通ずるを謂はば、則ち徳行・政事・言語は、経に通ぜずして能くせんや。史遷既に称す、身六芸に通ずる者七十二人と。以て見るべきのみ。
現代語訳
孔子門下の弟子のうち、文章が残っているのは子游と子夏だけである。子游は『礼記』の礼運篇を書いた。その中で「言偃」と名乗っているのは、自分で自分を呼んだ言葉であることがきわめて明らかである。世の儒者は大ざっぱで、そこを深く考えない。孔門の四科に「文学」とあるのは、文章が巧みなことでなくて何だろう。もしそれを経書に通じることだとするなら、徳行・政事・言語の科の人々は、経書に通じずにそれができたというのか。司馬遷(史遷)もすでに「身に六芸を通じた者が七十二人」と述べている。これで(経に通じることは門人みなのことだと)わかるはずだ。
解説
孔門の四科(徳行・言語・政事・文学)のうち「文学」を、徂徠は経書に通じることではなく文章を善くすることだと読む。経に通じるのは門人全員の前提であり、司馬遷も六芸に通じた者が七十二人いたと記しているからである。子游・子夏だけが文章を残し、礼運篇は子游の作だと見るのも、文章の才を一つの専門として認める立場から来ている。人の才はそれぞれ違うという徂徠の人材観がここにも表れる。組織でも、全員に共通の基礎と、各人が伸ばす専門の両方を見分けて育てることが大切である。
この章句が説くこと
四科文学孔子六芸人材文章
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