学則 / 與平子彬書
古無文人論。甚佳。然終是强詞軋理。宋人類耳。世道學先生。率藉此以文其陋。足下過取爾。修辭尙辭。於傳有之。孔子曰。言以足志。文以足言。言之不文。不足以行遠。又曰。詩三百。與今存者。其數適同。故知刪詩者。乃刪潤字句之謂。非芟三千也。不爾。田畯紅女之言。豈若是其美乎。
新字:古無文人論。甚佳。然終是強詞軋理。宋人類耳。世道学先生。率藉此以文其陋。足下過取爾。修辞尚辞。於伝有之。孔子曰。言以足志。文以足言。言之不文。不足以行遠。又曰。詩三百。与今存者。其数適同。故知刪詩者。乃刪潤字句之謂。非芟三千也。不爾。田畯紅女之言。豈若是其美乎。
書き下し
古に文人無しとの論、甚だ佳し。然れども終に是れ詞を強ひ理を軋る、宋人の類のみ。世の道学先生、率ね此に藉りて以て其の陋を文る。足下過ちて取るのみ。脩辞・尚辞は、伝に之有り。孔子曰く、言は以て志を足し、文は以て言を足す。言の文ならざるは、以て遠きに行くに足らずと。又た曰く、詩三百と。今存する者と、其の数適ま同じ。故に詩を刪るとは、乃ち字句を刪潤するの謂にして、三千を芟るに非ざるを知るなり。爾らずんば、田畯紅女の言、豈に是の若く其れ美ならんや。
現代語訳
「古には文人などいなかった」という論は、なかなかよくできている。しかし結局は言葉を無理に押し通し理屈をねじ曲げたもので、宋人のたぐいにすぎない。世の道学先生たちは、たいていこの説を借りて自分の無教養を取り繕っている。あなたは誤ってそれを採っただけだ。「修辞」「尚辞」という言葉は伝(経書の解説書)にある。孔子は「言葉は志を補い、文は言葉を補う。言葉に文がなければ、遠くまで伝わらない」と言った。また「詩三百」とも言った。これは今に伝わる『詩経』の篇数とちょうど同じである。だから孔子が詩を「刪った」というのは、字句を削り整えたことを言うのであって、三千篇を三百篇に刈り込んだのではないとわかる。そうでなければ、農夫や機織り女の言葉が、どうしてあれほど美しいだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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詩経・大雅・蕩之什・抑(一)抑(よく)は、衛の武公厲王を刺り、亦以て自ら警むるなり。 抑抑(よくよく)たる威儀は、維(こ)れ徳の隅(かど)。人亦言える有り、哲として愚ならざる靡(な)し、と。庶人の愚は、亦職(まさ)に維れ疾(やまい)なり。哲人の愚は、亦維れ斯れ戾(もと)る。 競(つよ)きこと維れ人より無し、四方其れ之に訓(したが)う。覚(おお)いなる徳行有れば、四国之に順う。訏謨(くぼ)もて命を定め、遠猶(えんゆう)辰(とき)に告ぐ。威儀を敬慎せよ、維れ民の則なり。 其の今に在りては、迷乱を政に興す。厥(そ)の徳を顛覆し、酒に荒湛(こうたん)す。女(なんじ)湛楽に之れ従うと雖も、厥の紹(つ)ぐを念わず。敷(あまね)く先王を求めて、克く明刑を共(まも)ること罔(な)し。 肆(ゆえ)に皇天尚(たっと)ばず、彼の泉の流るるが如く、淪胥(りんしょ)して以て亡ぶること無かれ。夙(つと)に興き夜に寐(い)ね、庭内を洒埽(さいそう)し、維れ民の章(のり)たれ。爾の車馬、弓矢戎兵を修め、用て戎作(じゅうさく)を戒め、用て蛮方を逷(とお)ざけよ。 爾の人民を質(ただ)し、爾の侯度を謹み、用て不虞(ふぐ)を戒めよ。爾の出話を慎み、爾の威儀を敬い、柔嘉ならざる無かれ。白圭(はっけい)の玷(か)けたるは、尚お磨くべきなり、斯の言の玷けたるは、為(おさ)むべからざるなり。 易(かろがろ)しく言に由ること無かれ、苟(いやし)くもすと曰うこと無かれ。朕(わ)が舌を捫(おさ)うる莫し、言は逝(す)つべからず。言として讎(むく)いられざるは無く、徳として報いられざるは無し。朋友、庶民小子に恵みあれ。子孫繩繩(じょうじょう)として、万民承けざる靡し。
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『弁道』第二十二則詩は則ち是に異なり。諷詠の辞は猶ほ後世の詩のごとし。孔子之を刪るも、辞に取るのみ。学者之を学ぶも、亦た以て辞を修むるのみ。故に孔子曰く、「詩を学ばずんば、以て言ふこと無し」と。後世迺ち読書の法を以て詩を読み、是れ勧善懲悪の設けなりと謂ふ。故に其の説、鄭衛淫奔の詩に至りて窮まる。且つ其の傅くる所の義理の訓、僅僅乎として掬に盈たず。果たして其の説の若くならば、聖人蓋し亦た別に訓戒の書を作らん。而るに是の迂遠の計を以て為さんや。故に皆詩を知らざる者の説なり。詩序の如きは、則ち古人一時其の意を以て詩を解するの言にして、其の事由を叙して意自ら見はる。何ぞ訓詁を仮らん。然れども詩は本と定義無し。何ぞ必ずしも序の言ふ所を守りて以て不易の説と為さんや。大序の如きは乃ち関雎の解にして、古人偶〻関雎に於て敷衍して以て之を長くするのみ。後儒事を解せず、析ちて大小序と為す。笑ふべきの甚だしきなり。
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『弁道』第二十二則大氐詩の言たる、上は廟堂より、下は委巷に至り、以て諸侯の邦に及ぶまで、貴賤男女、賢愚美悪、何の有らざる所ぞ。世変邦俗、人情物態、得て観るべし。其の辞婉柔にして情に近く、諷詠して感じ易し。而して其の事皆零砕猥雑にして、自然に矜持の心を生ぜず。是を以て君子以て宵人を知るべく、丈夫以て婦人を知るべく、朝廷以て民間を知るべく、盛世以て衰俗を知るべき者、此に在り。且つ其の義たる、典要を為さず、美刺皆得て、唯意の取る所のままなり。引きて之を伸ばし、類に触れて之を長ずれば、窮まり已む有る莫し。故に古人の意智を開き、政事に達し、言語を善くし、隣国に使ひして専対酬酢する所以の者、皆此に於て得たり。書は正言たり、詩は微辞たり。書は其の大なる者を立て、詩は細物を遺さず。日月の代はる代はる明らかなるが如く、陰陽の並び行はるるが如し。二を合はす、故に経之を義の府と謂ふなり。
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論語・八佾篇『関雎』は楽しくして淫せず、哀しくして傷(やぶ)らず。
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