弁道 / 第二十二則
詩則異於是矣。諷詠之辭猶後世之詩。孔子刪之。取於辭已。學者學之。亦以修辭已。故孔子曰。不學詩。無以言。後世迺以讀書之法而讀詩。謂是勸善懲惡之設焉。故其說至於鄭衞淫奔之詩而窮矣。且其所傅義理之訓。僅僅乎不盈掬焉。果若其說。聖人蓋亦別作訓戒之書。而以是迂遠之計爲也。故皆不知詩者之說矣。如詩序。則古人一時以其意解詩之言。叙其事由而意自見焉。何假訓詁。然詩本無定義。何必守序之所言以爲不易之說乎。如大序乃關雎之解。古人偶於關雎敷衍以長之耳。後儒不解事。析爲大小序。可笑之甚也。
新字:詩則異於是矣。諷詠之辞猶後世之詩。孔子刪之。取於辞已。学者学之。亦以修辞已。故孔子曰。不学詩。無以言。後世迺以読書之法而読詩。謂是勧善懲悪之設焉。故其説至於鄭衛淫奔之詩而窮矣。且其所傅義理之訓。僅僅乎不盈掬焉。果若其説。聖人蓋亦別作訓戒之書。而以是迂遠之計為也。故皆不知詩者之説矣。如詩序。則古人一時以其意解詩之言。叙其事由而意自見焉。何仮訓詁。然詩本無定義。何必守序之所言以為不易之説乎。如大序乃関雎之解。古人偶於関雎敷衍以長之耳。後儒不解事。析為大小序。可笑之甚也。
書き下し
詩は則ち是に異なり。諷詠の辞は猶ほ後世の詩のごとし。孔子之を刪るも、辞に取るのみ。学者之を学ぶも、亦た以て辞を修むるのみ。故に孔子曰く、「詩を学ばずんば、以て言ふこと無し」と。後世迺ち読書の法を以て詩を読み、是れ勧善懲悪の設けなりと謂ふ。故に其の説、鄭衛淫奔の詩に至りて窮まる。且つ其の傅くる所の義理の訓、僅僅乎として掬に盈たず。果たして其の説の若くならば、聖人蓋し亦た別に訓戒の書を作らん。而るに是の迂遠の計を以て為さんや。故に皆詩を知らざる者の説なり。詩序の如きは、則ち古人一時其の意を以て詩を解するの言にして、其の事由を叙して意自ら見はる。何ぞ訓詁を仮らん。然れども詩は本と定義無し。何ぞ必ずしも序の言ふ所を守りて以て不易の説と為さんや。大序の如きは乃ち関雎の解にして、古人偶〻関雎に於て敷衍して以て之を長くするのみ。後儒事を解せず、析ちて大小序と為す。笑ふべきの甚だしきなり。
現代語訳
『詩経』はこれとは違う。うたい詠む言葉は後世の詩と同じようなものである。孔子がこれを選び削ったのも、言葉の点から取ったにすぎない。学ぶ者がこれを学ぶのも、言葉を磨くためである。だから孔子は「詩を学ばなければ、ものを言うことができない」と言った。後世はかえって(教訓書を読む)読書の方法で詩を読み、これは善を勧め悪を懲らすために設けられたものだとした。だからその説は、鄭や衛のみだらな恋の詩に至って行き詰まる。しかも彼らが付け加えた義理の教訓は、ほんのわずかで一すくいにも満たない。もし本当にその説のとおりなら、聖人は別に訓戒の書を作ったであろう。どうしてこんな回りくどい方法をとろうか。だからどれも詩を知らない者の説である。「詩序」のようなものは、古人がその時その時に自分の考えで詩を解した言葉であり、その事情を述べれば意味はおのずと見えてくる。どうして字義の解釈を借りる必要があろうか。しかし詩にはもともと決まった意味がない。どうして必ず序の言うことを守って、変えられない説とする必要があろうか。「大序」は実は関雎の詩の解説であって、古人がたまたま関雎のところで敷衍して長くしただけのものである。後世の儒者は事情が分からず、それを大序と小序に分けた。はなはだ笑うべきことである。
解説
この章句が説くこと
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