学則 / 答屈景山書
豪杰之士決不爾不佞雖寡交乎。然以其所嗜。頗得窺今世作者洛有伊原臧。海西有雨伯陽。關以東則有室師禮未聞有足下。知有足下者。自此書始。是足下之葆光自晦。不競譽于時。何其家風之未衰也。是豈有阿時之心乎。祇人安其所習。其所不習者。怪而尤之。亦常情爲爾。則足下以非其所習。而怪尤之先存乎中。是以驟見妒者之言。以爲當理而取之耳。
新字:豪杰之士決不爾不佞雖寡交乎。然以其所嗜。頗得窺今世作者洛有伊原臧。海西有雨伯陽。関以東則有室師礼未聞有足下。知有足下者。自此書始。是足下之葆光自晦。不競誉于時。何其家風之未衰也。是豈有阿時之心乎。祇人安其所習。其所不習者。怪而尤之。亦常情為爾。則足下以非其所習。而怪尤之先存乎中。是以驟見妬者之言。以為当理而取之耳。
書き下し
豪傑の士は決して爾らず。不佞交はり寡しと雖も、然れども其の嗜む所を以て、頗る今世の作者を窺ふを得たり。洛に伊原臧有り、海西に雨伯陽有り、関以東には則ち室師礼有り。未だ足下有るを聞かず。足下有るを知るは、此の書より始まる。是れ足下の光を葆みて自ら晦まし、誉れを時に競はざるなり。何ぞ其の家風の未だ衰へざるや。是れ豈に時に阿るの心有らんや。祇だ人其の習ふ所に安んじ、其の習はざる所の者は怪しみて之を尤む。亦た常情爾りと為す。則ち足下其の習ふ所に非ざるを以て、怪しみ尤むること先づ中に存す。是を以て驟かに妒む者の言を見て、以て理に当たると為して之を取るのみ。
現代語訳
豪傑の士は決してそのようなことはしない。私は交際が少ないけれども、好きなことであるから、今の世の書き手をかなりうかがい知っている。京都には伊原臧(伊藤東涯)がおり、西国には雨伯陽(雨森芳洲)がおり、関東には室師礼(室鳩巣)がいる。あなたのことはまだ聞いたことがなかった。あなたの存在を知ったのはこの手紙が初めてである。これはあなたが光を包み隠して自ら目立たず、世間で名誉を競わないからである。なんと家風がいまだ衰えていないことか。これがどうして時流におもねる心であろうか。ただ人は自分の習ったものに安んじ、習っていないものは怪しんでとがめる。これも人情の常である。とすれば、あなたは古文辞が自分の習ったものでないため、怪しみとがめる気持ちが先に心にあった。だからねたむ者の言葉をふと目にして、それが理にかなっていると思って取り入れただけのことであろう。
解説
この章句が説くこと
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