学則 / 答屈景山書
況吾邦之學華文。假使學韓歐。非摸擬而何。其必惡摸擬乎。國字之文可耳。且此方之儒。不與國家之政。終身不遷官。如贅旒然。豈有立功策名。顯其父母之願哉。治經爲文。各從其心所欲。而官不爲之制。豈復有利害之切於己。如鄉者所言明人哉。豈復有所謂今文者哉。而猶且以古今立說者。吾未知其何故耳。豈以媚時師歟。
新字:況吾邦之学華文。仮使学韓欧。非摸擬而何。其必悪摸擬乎。国字之文可耳。且此方之儒。不与国家之政。終身不遷官。如贅旒然。豈有立功策名。顕其父母之願哉。治経為文。各従其心所欲。而官不為之制。豈復有利害之切於己。如郷者所言明人哉。豈復有所謂今文者哉。而猶且以古今立説者。吾未知其何故耳。豈以媚時師歟。
書き下し
況んや吾が邦の華文を学ぶ、仮使韓欧を学ぶも、模擬に非ずして何ぞや。其れ必ず模擬を悪まば、国字の文にて可なるのみ。且つ此の方の儒は、国家の政に与らず、終身官を遷らず、贅旒の如く然り。豈に功を立て名を策して、其の父母を顕はすの願ひ有らんや。経を治め文を為す、各〻其の心の欲する所に従ひて、官之が制を為さず。豈に復た利害の己に切なること、郷者言ふ所の明人の如きこと有らんや。豈に復た所謂今文なる者有らんや。而るに猶且つ古今を以て説を立つる者、吾未だ其の何の故なるかを知らざるのみ。豈に以て時師に媚ぶるか。
現代語訳
まして日本で中国の文を学ぶのであれば、たとえ韓愈・欧陽脩を学んだとしても、模倣でなくて何であろう。どうしても模倣を嫌うのなら、仮名まじりの和文で書けばよいだけのことだ。それにこの国の儒者は国家の政治に関わらず、生涯官職も変わらず、旗の飾り房のようにただぶら下がっているだけである。どうして功を立て名を挙げて父母の名を顕す望みなどあろうか。経書を研究し文章を作るのは、各自の心の欲するままで、お上がそれを制度で縛ることもない。先に述べた明の人々のように、利害が身に切実に関わることなどどうしてあろう。いわゆる「今文」などというものがどうしてあろうか。それなのになお古今の区別で説を立てるのは、私にはその理由がわからない。当世の師匠たちに媚びるためだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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人物志・材能矯抗の政は、侈を治むるに宜しく、之を以て弊を治むれば則ち残ふ。諧和の政は、新を治むるに宜しく、之を以て旧を治むれば則ち虚し。公刻の政は、姦を糾すに宜しく、之を以て辺を治むれば則ち衆を失ふ。
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論語・顔淵篇季康子、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、「政とは、正なり。子帥いるに正を以てせば、孰か敢えて正しからざらん。」
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『慎思録』巻之五天地の間、人を殺すこと最も多き者、四件有り。刑・兵・歳・病なり。刑罰を省き曲直を明らかにすれば、則ち寃死無し。乱源を禁遏すれば、則ち兵死無し。歳の凶なるに方りて、窮民を周恤すれば、則ち餓死無し。医を択びて病を済へば、則ち枉死無し。政に従ふ者、知らざるべからず。
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司馬法・嚴位古自(よ)りの政なり。
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『慎思録』巻之二政を為すの道は、教養の二者、闕くべからず。二者は養を先と為し、教之に次ぐ。是れ先づ養ひて而る後に教ふるなり。舜は先づ后稷をして民に稼穡を教へしめ、五穀熟して民人育す。而る後に契をして司徒と為し、教ふるに人倫を以てせしむ。此れ養ひて而る後に教ふるなり。既に之を養ひ又之を教へて、民従はず。所以に刑有りて其の罪を正し、民をして教へに従はしむるなり。是を以て舜又皐陶に命じ、士と為りて五刑を司らしむ。其の序の紊るべからざること此くの如し。夫れ後世の政にも、亦た刑法有り。既に刑法有れば、則ち復た先づ教へ無かるべからず。孔子曰く、教へずして殺す、之を虐と謂ふ、と。此れ以て聖人の政は、養を先にし中ごろ教へ刑を後にす。蓋し既に養ひ且つ教へて、苟も従はざる者有らば、已むを得ずして刑を用ゐるのみ。
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『慎思録』巻之六君たり吏たる者、卑賤の人に対して、厳威過ぎて高ければ、則ち勢分相隔絶して、下に在る者、其の情を尽くすことを得ずして、下情達せず、其の利害を詳らかにすること能はず。苟も温顔にして言を受くれば、則ち下情通ず。大率政を為すの道は、下情を通ずるを以て善と為す。
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