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学則 / 答屈景山書

且二公之文主叙事。而于鱗則援古辭以證今事。故不諳明事制者。雖熟古書。亦不能讀焉。夫六經。皆事也。皆辭也。苟嫺辭與事。古今其如眎諸掌乎。於是回首以讀後世之書萬卷雖夥乎。如破竹然。辟諸良工必先攻堅木焉。吾之刅。試諸盤根錯節。而其餘脆材柔木。易易耳。

新字:且二公之文主叙事。而于鱗則援古辞以証今事。故不諳明事制者。雖熟古書。亦不能読焉。夫六経。皆事也。皆辞也。苟嫺辞与事。古今其如眎諸掌乎。於是回首以読後世之書万巻雖夥乎。如破竹然。辟諸良工必先攻堅木焉。吾之刅。試諸盤根錯節。而其余脆材柔木。易易耳。

書き下し

且つ二公の文は叙事を主とす。而して于鱗は則ち古辞を援きて以て今事を証す。故に明の事制を諳んぜざる者は、古書に熟すと雖も、亦た読む能はず。夫れ六経は皆事なり、皆辞なり。苟も辞と事とに嫺へば、古今其れ諸を掌に視るが如きか。是に於いて首を回らして以て後世の書を読めば、万巻夥しと雖も、破竹の如く然り。諸を良工の必ず先づ堅木を攻むるに譬ふ。吾の刃、諸を盤根錯節に試みれば、其の余の脆材柔木は易易たるのみ。

現代語訳

そのうえ二人の文は叙事を主としており、于鱗(李攀龍)は古の言葉を引いて今の出来事を述べている。だから明の事物や制度に通じていない者は、古書に熟していても読めない。そもそも六経はすべて事実であり、すべて言葉である。もし言葉と事実に習熟すれば、古今のことは手のひらを見るように明らかになるだろう。そうしてから振り返って後世の書物を読めば、万巻と多くとも、竹を割るようにすらすら読める。これをたとえれば、腕のよい職人は必ずまず堅い木を攻めるようなものだ。自分の刃を曲がりくねった根や入り組んだ節で試しておけば、そのほかのもろい材や柔らかい木はたやすいものである。

解説

李攀龍らの文は古語で明代の事柄を叙述するので、言葉と制度の両方に通じていないと読めない。徂徠はここで「六経は皆事なり、皆辞なり」と言い切る。経書は抽象的な理の書ではなく、具体的な事実と言葉の記録だというのが彼の根本の立場である。難しい古書で鍛えれば後世の書は破竹の勢いで読めるという良工の比喩は、『後漢書』の「盤根錯節」の故事を踏まえる。仕事でも、最初に難しい案件や原典に取り組んでおくと、その後の多くの仕事が楽に見えてくるものである。

この章句が説くこと

六経古文辞学問叙事習熟鍛錬

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