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学則 / 答屈景山書

夫後世文章之士。能卓然法古者。唯韓柳李王四公。故不佞嘗作爲四大家雋。以誨門人。而其尤推李王者。尙辭也。雖然。不佞所以推二公者。不特此耳。夫學問之道。本古焉。六經論語。左國史漢。古書也。人孰不讀。然人苦其難通。古今言之殊也。故必須傳注以通之。猶之假倭訓以讀華文邪。尙隔一層。髣髴已矣。且傳注之作。出於後世。古今言之殊。彼亦猶我也。彼且以理求諸心。而不求諸事與辭。故其紕謬。不可勝道。

新字:夫後世文章之士。能卓然法古者。唯韓柳李王四公。故不佞嘗作為四大家雋。以誨門人。而其尤推李王者。尚辞也。雖然。不佞所以推二公者。不特此耳。夫学問之道。本古焉。六経論語。左国史漢。古書也。人孰不読。然人苦其難通。古今言之殊也。故必須伝注以通之。猶之仮倭訓以読華文邪。尚隔一層。髣髴已矣。且伝注之作。出於後世。古今言之殊。彼亦猶我也。彼且以理求諸心。而不求諸事与辞。故其紕謬。不可勝道。

書き下し

夫れ後世文章の士、能く卓然として古に法る者は、唯韓柳李王の四公のみ。故に不佞嘗て四大家雋を作為して、以て門人に誨ふ。而して其の尤も李王を推す者は、辞を尚べばなり。然りと雖も、不佞の二公を推す所以の者は、特に此のみならず。夫れ学問の道は古に本づく。六経・論語・左国史漢は古書なり。人孰か読まざらん。然れども人其の通じ難きに苦しむ。古今の言の殊なればなり。故に必ず伝注を須ちて以て之に通ず。猶ほ倭訓を仮りて以て華文を読むがごときか。尚ほ一層を隔て、髣髴たるのみ。且つ伝注の作は後世に出づ。古今の言の殊なる、彼も亦た猶ほ我のごときなり。彼且つ理を以て諸を心に求めて、諸を事と辞とに求めず。故に其の紕謬、勝げて道ふべからず。

現代語訳

そもそも後世の文章家で、ぬきんでて古に法ることのできた者は、韓愈・柳宗元・李攀龍・王世貞の四人だけである。だから私はかつて『四大家雋』を編んで門人に教えた。そのうちとりわけ李・王を推すのは、言葉を尊ぶからである。とはいえ、私が二人を推す理由はそれだけではない。そもそも学問の道は古に基づく。六経・『論語』・『左伝』『国語』『史記』『漢書』は古書であり、読まない人はいない。けれども人はそれが難しくて通じないことに苦しむ。古と今とで言葉が違うからである。それで必ず伝注(注釈)に頼って理解する。それは和訓を借りて中国の文を読むようなものではないか。なお一枚へだてて、ぼんやりわかるにすぎない。しかも伝注が作られたのは後世であり、古今で言葉が違うことは、注釈者も私たちと同じである。そのうえ彼らは理によって心に求め、事実と言葉に求めない。だからその誤りは数えきれない。

解説

徂徠が李攀龍・王世貞を推すのは、文章の美しさのためだけではない。学問は古書に基づくが、古今で言葉が違う以上、後世の注釈を通して読むのは和訓で漢文を読むように一枚へだてたものになる。しかも注釈者自身も古語から隔たっており、朱子ら宋儒は理を心に求めて事実と言葉を調べなかった。ここに古文辞学の核心がある。他人の要約や解説だけで原典をわかった気になる危うさは今も同じで、元の資料にじかに当たる手間を惜しまないことが、理解の質を決めるのである。

この章句が説くこと

学問古文辞古書注釈宋儒原典

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