格言聯璧 / 學問類・一毫の粗疏有れば理を認むること眞ならず
事以典故為據,故當博洽;不然,臆說杜撰也。 只有一毫粗疏處,便認理不真,所以說惟精。 不然,眾論淆之而必疑。 只有一毫二三心,便守理不定,所以說惟一。
新字:事以典故為拠,故当博洽;不然,臆説杜撰也。 只有一毫粗疏処,便認理不真,所以説惟精。 不然,衆論淆之而必疑。 只有一毫二三心,便守理不定,所以説惟一。
書き下し
事は典故を以て據と爲す、故に當に博洽なるべし。然らずんば、臆説杜撰なり。 只だ一毫の粗疏なる處有れば、便ち理を認むること眞ならず、所以に惟れ精と説く。 然らずんば、衆論之を淆して必ず疑ふ。 只だ一毫の二三の心有れば、便ち理を守ること定まらず、所以に惟れ一と説く。
現代語訳
物事は故実や先例を根拠とします。だから広く学んで通じていなければなりません。そうでなければ、当て推量ででっち上げた説になってしまいます。 ほんのわずかでも粗雑なところがあれば、道理をつかむことが本物になりません。だから「惟れ精」と説くのです。 そうでなければ、さまざまな議論に惑わされて必ず疑いが生じます。 ほんのわずかでも心が二つ三つに分かれていれば、道理を守ることが定まりません。だから「惟れ一」と説くのです。
解説
前の単位の「理は心得を以て精と為す」を受けて、事実については典故、つまり先例や出典に基づく博識が要ると述べる句から始まります。続く部分は『書経』大禹謨の「惟れ精惟れ一、允に厥の中を執れ」を解いたもので、精は細かく見きわめること、一は心を一つに保つことです。粗雑さがあれば理の認識が甘くなり、多くの議論に揺さぶられます。心が二つ三つに割れていれば、理を守りきれません。この一条は次の単位の「然らずんば、利害之に臨みて必ず変ず」へと続きます。調べ尽くすことと、決めたら揺るがないことの両方が判断には欠かせないのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
惟精惟一学問判断博識専一
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