呻吟語 / 内篇・問學・事に隨ひて中を用ふるのみ
學問之功,生知聖人亦不敢廢。不從學問中來,任從有掀天揭地事業,都是氣質作用。氣象豈不炫赫可觀,一入聖賢秤尺,坐定不妥貼。學問之要如何?隨事用中而矣。
新字:学問之功,生知聖人亦不敢廃。不従学問中来,任従有掀天掲地事業,都是気質作用。気象豈不炫赫可観,一入聖賢秤尺,坐定不妥貼。学問之要如何?随事用中而矣。
書き下し
學問の功は、生知の聖人も亦た敢へて廢せず。學問の中より來たらずんば、任ひ天を掀げ地を揭ぐる事業有るも、都て是れ氣質の作用なり。氣象豈に炫赫として觀る可からざらんや。一たび聖賢の秤尺に入らば、坐定して妥貼ならず。學問の要は如何。事に隨ひて中を用ふるのみ。
現代語訳
学問の功は、生まれながらに知る聖人でさえ廃しません。学問の中から出てきたものでなければ、天を持ち上げ地をめくる事業があっても、すべて気質の働きにすぎません。その有様はまばゆく見えないことがあるでしょうか。しかしひとたび聖賢の秤と物差しに掛ければ、据わりが悪くしっくりきません。学問の要は何か。事に応じて中を用いるだけです。
解説
大きな事業を成した人でも、学問から出ていなければ気質の産物にすぎないと言います。まばゆく見えるのは認めたうえで、聖賢の物差しに掛ければ据わりが悪いと。そして学問の要を一句に絞ります。事に応じて中を用いる。これだけです。壮大な議論を、最後に日々の判断へ着地させる書き方になっています。壮大な議論を、最後に日々の判断へ着地させています。

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学問気質事業中判断
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