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学則 / 答屈景山書

爭者。訟之事也。訟者陳己之是於不信己者之前。以求其信己者也。吁。亦難矣哉。雖然。有官臨之。庶乎足以斷已。今學問而用訟者之道乃無聖人之臨上。將孰聽而孰斷之乎。若或欲以天下之所同是而斷之邪。則播諸衆而欲訟己之是。欲訟己之是。則暴人之非。亦不情之甚也。況獨得之見。有衆所不及知者乎。

新字:争者。訟之事也。訟者陳己之是於不信己者之前。以求其信己者也。吁。亦難矣哉。雖然。有官臨之。庶乎足以断已。今学問而用訟者之道乃無聖人之臨上。将孰聴而孰断之乎。若或欲以天下之所同是而断之邪。則播諸衆而欲訟己之是。欲訟己之是。則暴人之非。亦不情之甚也。況独得之見。有衆所不及知者乎。

書き下し

争ひなる者は、訟への事なり。訟ふる者は己の是を己を信ぜざる者の前に陳べて、以て其の己を信ずるを求むる者なり。吁、亦た難いかな。然りと雖も、官の之に臨む有らば、以て断ずるに足るに庶からん。今学問して訟ふる者の道を用ふるに、乃ち聖人の上に臨む無し。将た孰か聴きて孰か之を断ぜんや。若し或いは天下の同じく是とする所を以て之を断ぜんと欲するか、則ち諸を衆に播きて己の是を訟へんと欲す。己の是を訟へんと欲すれば、則ち人の非を暴く。亦た不情の甚だしきなり。況んや独得の見、衆の知るに及ばざる所有る者をや。

現代語訳

争いとは訴訟のことである。訴える者は、自分を信じない相手の前で自分の正しさを述べ立て、信じてもらおうとする。ああ、なんと難しいことか。とはいえ、役人が裁きに臨むなら、どうにか決着はつけられよう。ところが今、学問において訴訟のやり方を用いても、上に臨む聖人はいない。いったい誰が聴き、誰が裁くのか。もし天下の人がみな正しいとするところで裁こうとするなら、議論を大勢の前にばらまいて自分の正しさを訴えることになる。自分の正しさを訴えようとすれば、他人の誤りを暴くことになり、これもはなはだ人情に外れる。まして独自に得た見解で、大勢には理解の及ばないものならなおさらである。

解説

徂徠は学問上の論争を訴訟にたとえる。訴訟なら裁く役人がいるが、学問には裁く聖人がいない。多数の支持に訴えれば、人の誤りをさらし立てることになり、人情に反する。しかも本当に新しい見解は、もともと多数には理解されにくい。古文辞学という独自の道を歩んだ徂徠自身の実感がにじむ一節である。会議やネット上の議論でも、勝ち負けを決める審判がいない場で正しさを競えば、相手を貶める応酬になりやすい。何を決めるための議論なのかを先に定めることが大切である。

この章句が説くこと

学問聖人論争訴訟人情独創

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