学則 / 答屈景山書
書中又言文章好尙之異。而欲聞不佞之一言。乃以無爭心見告。亦何詳悉顧慮之至于此也。夫人心如面。好尙各殊。雖然。徒自信而不問。將何以知其未知。而廣己之見乎。故學之道。問爲大焉。問者。弟子之事也。發難相切磋者。朋友之事也。故非有師友之素而輙相問難者。爭之道也。臣諫君。子諍父者。榮辱休戚之相關也。故非有君臣之義。父子之親其心如秦越人相視肥瘠而諫其不是者。亦爭之道也。
新字:書中又言文章好尚之異。而欲聞不佞之一言。乃以無争心見告。亦何詳悉顧慮之至于此也。夫人心如面。好尚各殊。雖然。徒自信而不問。将何以知其未知。而広己之見乎。故学之道。問為大焉。問者。弟子之事也。発難相切磋者。朋友之事也。故非有師友之素而輙相問難者。争之道也。臣諫君。子諍父者。栄辱休戚之相関也。故非有君臣之義。父子之親其心如秦越人相視肥瘠而諫其不是者。亦争之道也。
書き下し
書中又た文章好尚の異なるを言ひて、不佞の一言を聞かんと欲し、乃ち争ふ心無きを以て告げらる。亦た何ぞ詳悉顧慮の此に至れるや。夫れ人心の面の如き、好尚各〻殊なり。然りと雖も、徒らに自ら信じて問はずんば、将た何を以て其の未だ知らざるを知りて己の見を広めんや。故に学の道は、問ふことを大と為す。問ふ者は弟子の事なり。難を発して相切磋する者は朋友の事なり。故に師友の素有るに非ずして輙ち相問難する者は、争ひの道なり。臣の君を諫め、子の父に諍ふ者は、栄辱休戚の相関はればなり。故に君臣の義、父子の親有るに非ずして、其の心秦越の人の相肥瘠を視るが如くにして其の是ならざるを諫むる者も、亦た争ひの道なり。
現代語訳
お手紙ではまた、文章の好みの違いについて述べ、私の一言を聞きたいとし、しかも争う気持ちはないと告げておられる。なんと細かく行き届いた心配りであろうか。そもそも人の心は顔のように一人ひとり違い、好みもそれぞれ異なる。とはいえ、ただ自分を信じて人に問わなければ、どうしてまだ知らないことを知り、自分の見識を広げられようか。だから学問の道では、問うことが大切である。問うのは弟子の務めであり、疑問を投げかけて互いに磨き合うのは友人の務めである。したがって、師弟や友人の間柄がもともとないのに、いきなり問い詰め合うのは争いの道である。臣下が君主を諫め、子が父を諫めるのは、栄誉も恥辱も喜びも憂いも互いに関わり合っているからだ。だから君臣の義理や父子の親しみもないのに、秦の人が遠い越の人の肥えた痩せたを眺めるような無関係な心のまま、相手の誤りを諫めるのも、やはり争いの道である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学則』答屈景山書不佞は僻惰なる一病夫にして、世と相遠ざかる。朝夕する所は唯一二の従游の士のみ。未だ嘗て人に勧め人を教ふるを以て事と為さず。況んや人と争はんや。而るに足下乃ち海内風に従ひて靡くと謂ふ者は、不佞と雖も亦た怪しむ。豈に耳食の士、初めより未だ不佞の学を為す所以を識らずして、響きを伝へて雷同するか。爾らずんば、亦た時運の然らしむるなり。豈に不佞の能く知る所ならんや。亦た惟人心の面の如き、見る所を陳べて以て来意に酬ゆるのみ。其の取舍の如きは、足下之を裁せよ。時に暑涼雑へ至る。伏して惟みるに自重せよ。即月二十一日。
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